2014年10月30日木曜日

好きを仕事にするとはどういうことか? 好きを仕事にする時の目標設定について


好きを仕事にしてはいけない理由


1,
低賃金労働になるほど競争が激しく給料が低い。

2,
社長と考えが合わない。大衆にも迎合したくない。妥協もしたくない。なんだかんだで自分の作りたいものが作れないのが腹立たしい。

3,
趣味でやる分には面白いところだけやればよかったけど、仕事の場合は製品の安全とか、情報セキュリティとか、表現の規制とか、クレーム対応とか、ハードでつまらない練習とか、ケガの予防とか、面白いところよりも面倒くさい作業の方がずっと多い。


結果、1万分の1の夢が叶ってもこんな感じ。


漫画家やめたい



将来はどんな職業に「なりたい」ではなく「なる!」


「なる!」と言うには、

「どういうふうに開拓して」
「いつまでに」
「どれぐらいの報酬」を
「目指している最中」

という数字目標と、現在進行形の宣言が必要。 
この意識の違いで目の前にある大小様々なチャンスが見えてくる。
 「なりたい」では、目の前にあってもそれがチャンスに見えなくなる。
なので成功要因が全て周りの環境と「運」に振り回されるのみ。


 リンク先の増田は、環境という「運」や出版社だけを恨んでるので何も見えなくなってる。この嘆いてる時間で、ネットで読むために最適化された漫画、スマホ縦読みのための技術やコマ割、アジア圏でしかもたいした商売にならなかった海外向けの翻訳漫画が、紙で読むという高コストを受け入れなかった欧米市場が、スマホで読む海外巨大市場に変わる。むしろこれからが本当の黄金期だと考えてる人が、ほんとにそういう形になるかどうかにかかわらず、次世代のヒットを生む。どうせネット違法アップに市場が駆逐されると増田のように環境ばかり嘆く奴は、全ての環境がピンチにしか見えず同じ時間を使って悪くなることばかり考え、何を描いても小銭しか貰えない視野の悪循環におちいる。



「なりたい」ではなく「なる!」で「数値目標」をつけた「宣言」の例。



本田圭佑、イチロー、石川遼の卒業文集がヤバすぎると話題に! - NAVER まとめ

 著名人のアファメーション

孫正義・25文字の成功哲学「孫の二乗の法則」とは | PHPビジネスオンライン 衆知|PHP研究所

 尾田栄一郎がワンピースを描くこだわりやモットーとは? | 漫画史上最大のヒット作のワンピースを研究するサイト

ソフトバンクの孫正義は、「人生50年計画」で現在も倍々ゲームが進行中。
尾田栄一郎は、中学から「ジャンプで海賊漫画を描く」計画をねって、連載開始前に主要キャラクターを完成させてる。


人は自分の数値目標に引きずられる。


孫正義は、昔Yahoo!への投資がヒットした3日だけ世界一のお金持ちになった。
しかし、計画ではまだその段階でなかったため、それを受け取る準備がなく元の計画まで戻ってしまう。今の孫正義であれば、Yahoo!が爆上げする可能性を事前に考えてすぐに次の検索サービスへ手を打ったはずだ。そこはもっと欲張って「人生30年計画」でも良かった。

けど小学生や10代で計画準備しないと成功しないというわけでもない。

「何かをするには自分はあまりに遅すぎた。」と気づいてからが本当のスタート - 旧・teruyastarはかく語りき


だが計画を立てたら全ての夢が叶うわけではない。
有限の「世界一の選手 」などはこの目標設定の大きさで決まる。
でも人間のルールにしばられたスポーツと違って、ビジネスはかなりなんでもありではある。


 ゲーム業界の場合

「○○"みたいな"ソフトを作ろう。」と「○○を"超える"ソフトを作ろう。」


「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」は世界一売れた「スーパーマリオブラザーズ」を超えるアクションゲームプロジェクトとして起ち上がり、売上では及ばぬものの、アメリカでのキャラクター認知度はマリオやミッキーマウスをも超えるNo.1 を獲得。ソニックが牽引役となって北米版のメガドライブは最後までスーパーファミコンとほぼ互角の戦いを繰り広げた。

 同じく、「ポケットモンスター」も「スーパーマリオを超えるソフト」として起ち上がる。ゲームボーイ市場が閉じる直前の長期に渡る開発から、それを見事に実現。売上本数でスーパーマリオを追い抜く。ただし、ゲームボーイなので定価3800円という1000円安い価格で、「赤」「緑」というこれまでにない変則商法という条件付き。

 逆に、「ファイナルファンタジーみたいなRPGを作ろう」「ポケモンみたいなソフトを作ろう。」「スト2やバーチャファイターみたいな格ゲーを作ろう」というシリーズは続かなかった。生き残ったは少しでも「超える」という精神をもったソフトのみ。


 「超える」というのは、FF5が出た時に、次のFF6を目指すのではなく、FF5のときに2世代超えてFF7を目指す。FF6を目標にしたら同時に本家が出すのだから勝てない。


 「弱小で実力もない自分達がFF7なんて到底無理」ではなく、資本がなくても、たった一人でもFF7を作る! という気概が「運」を呼ぶ。


どんなにグラフィックがしょぼくても、シナリオが次世代FFにふさわしいゲームとなったり、むしろグラフィックのセンスが次世代に到達して、ボリュームその他がしょぼいゲームとなったとしても、それを達成していくごとに、より次世代FFに近いチームに呼ばれたり、似たようなことを考える仲間が集まってくる。孫正義が2人しかいない社員の前でミカン箱の上に立って無鉄砲な計画をぶちあげたように。


このカオスな世の中、本人の実力だけではどうにもならない。 最後は環境の変化や思ってもない「運」が必要。しかし、それは自分の実力を上げて一段高いステージに立たないと見えてこない。次の運も、やりきって自分の力でもう一段高いところに立たないと見えてこない。そこではピンチに見えるような時場所でも、ずっと計画をねってたアンテナがチャンスと反応することがある。

 逆に考えると、

自分の実力だけでは到底どうにでもならないことこそが本当に達成できる目標設定


今の底辺の実力からしか見えない目標は現実的すぎて大欲がなさすぎで、その実力すらまず達成できない。そんな目標設定では前に進まない。ステージが上がれば見える風景と「運」で倍々に増えていくことが最初の実力ではわからない。新聞紙を42回折れば月に届く。アンテナを張り巡らせて42回「運」を見つけたらいい。やるだけやったら天に任せるぐらいでひとつづつ「運」がみつかる。


 目標計画は、本来の望む目標のもうひとつ向こう側を設定する必要がある。100M走で100Mを目標にするとゴール手前で無意識に減速してしまい記録を超えることが出来ない。なので100M走のゴールは120Mや150Mになる。空手で相手を倒すときは相手の胸を打つのではなく、正面から相手の背中を打ちぬくつもりで拳を突かなければ倒せない。見えてるものを目標にするから最後の無意識というほんの僅かな差で負ける。だから自分の実力だけで測る矮小な目標というものは常に達成されない。本来の目標は「通過点」におく必要がある。


 予想通りの「運」はやってこない


 例えば先程の「デジタル化における高コストな紙では読まなかった欧米コミック市場」などと「予想できる事」はそのままの姿ではやってこない。それはもうコミックではないかもしれない。「運」は予想できない斜め上にあるからこそ「運」である。ソニックや、ポケモンがマリオを斜め上の超え方したように、あくまで「運」は天に任せ自分の実力で捕まえるのみ。予想通りの「運」や「時機」を待つのは「なりたい」と同じ発想である。自分から捕まえにいかないとそれはやってこない。


 好きを仕事にするということ


自分のやれることはやる。1人で加速し続けて全部やるぐらいの気持は常に持つ。しかし目標設定は自分1人じゃ、自分達だけではどうしようもないところに設定する。この相反する矛盾を脳内に持つと、矛盾なんて分からない脳がそれを無理やりどうにか解決しようという、強力な脳内アンテナが張られる。その矛盾アンテナから予想しなかった斜め上の「運」やアイディアや出会いや習慣からの脱却が見えるようになる。


他人が聞いたらバカバカしく、自分ではワクワクする目標設定を


明日100億欲しいとかどう自分で考えてもふざけてワクワクしない目標は無理。(まあ、1000億をどういう偉大なことに使うから自分に欲しいという簡単なプレゼンをGoogleで翻訳して200カ国向けにTwitterでつぶやきまくって、キックスターターにでも繋げたら、バカに付き合う気まぐれな金持ちがコミットして、そのうち900億を事業に使って100億を私用で使うとかが、ミクロ単位ぐらいの確率であるだろうか?)

自分一人でもやりつづける。 しかし1人だと200年かかるかもしれない。そんな矛盾状態でもワクワクできるならいろんな「運」を見逃さず実現できるサイン。

 慣れないうちは、小さく短期間な矛盾からでいい。いつもの3倍の早さで明日や来週までにこれこれを終わらせる。夏休みの宿題を第一週のみで片付ける。そのために家族や友人や恋人まで含めて協力、調整してくれないか。開いた時間は君たちのために使うからなど。自分の習慣から一歩抜け出せ、好きな仕事の実現方法が少し実感できるようになる。

2014年10月28日火曜日

日本は言うほど自己責任のプレッシャーが強いのだろうか?

日本の貧困層を救ってくれるのはイスラームしかないって確信した。 - 拝徳

この「自己責任」というのは、現代日本の病巣の一種だと思う。
前のブログにも書いたことがあったけれど、日本はこの自己責任論で片付ける人の割合が世界の中でも異常に高い国だったりする。
例 えば「What the World Thinks in 2007」The Pew Global Attitudes Project という世界各国で行われたアンケートの中で、「自力で生活できない人を助けてあげる必要はない」という回答項目について「助けてあげる必 要はない」と答えた人の割合は日本が38%で、世界中でブッチギリ断トツだ。自己責任が問われるイメージが強いアメリカですら28%で その他のイギリス でもフランスでもドイツでも、中国でもインドでもブラジルでも同様で、どこも8%~10%くらいである。
つまるところ10人のうち約4人は、「はぁ?貧困?つか言うて自己責任だろ。俺だって苦しいんだから。苦労するのは当たり前。いちいち俺らにたかるなよ。生活できないならできないで周りに迷惑かけないうちにさっさと死んで解決しろよ(笑)。」

と暗に思っている国がこの国なのだ。


 そうかな?

 いや、ネットを見る限りは学のある人や、意識の高い人や、暇を持て余して若く健康で貧乏なニートが自己責任を言い合ってるのはわかるが、言論好きなネットの人達だけで言い争って自己責任圧力が高いのは、その人達の間だけなんだから別にいいじゃない。

 たまに本当に病んでる人が紛れ込んでフルボッコにされるわけだが。一部のそれを見て日本がダメだというのもどうかと。生活保護もあるし、各種支援団体もたくさんあって、金がなくても医者は断れない法律だし、ほんとに病にかかって立ち上がれない人を助けない国ではないし、どれだけ体育会系で意識が高くても病人にムチは打たない。

 で、それでも上記データから日本が自己責任論のトップだということなんだけど、こうなる理由が2つ思い浮かぶ。


1,日本は安全で生活しやすい国


 「自力で生活できない人を助けてあげる必要はない」

これは国によって意味合いが異なる。

長らく先進国を突き進んできた日本ではそう簡単に死なないし死ねない。ほとんどの人は字が読めるし、義務教育も終えて高等教育も卒業している。極端に言えば、プライドとキャリアを捨てて開き直ることができたら1からやり直すことができる。ある程度健康で精神が病んでなければ、いくらでも自活できる環境が整った国なのだ。

これが発展途上国ならみんなもっと生きるのに必至で、必ずしも親や学校が成人までお膳立てしてくれるわけではなかったりする。日本だと流れに沿ってなんの意思を示さなくても生きていけたが、発展途上国やアメリカのような多国籍社会でそんなことは言ってられない。アメリカだと空気を読む日本と違って小学校からディベートがあったり、論理で相手を説得する技術はずっと重要視される。面の皮が厚くなけりゃ生きていけない。

逆に福祉が日本よりもっと充実してるカナダやヨーロッパのいくつかの国だと、自力で生活できない人を助けて上げる必要はないという文言は自国の手厚い保障の否定となりかねないのでそんなことに賛成する人は少ない。

 自己責任論の強そうなアメリカが日本よりも圧力低いというのも、元々自分の身は自分の身で守るという銃社会のアメリカで自己責任は当然なので、この質問ではそれでも生活できない人、字も読めなかったり学校に通ってなかったり、言葉が通じなかったり、つまりアメリカで自活できない人はある程度の助けは必要だが、同一民族で教育水準も高く安全な日本で助けが必要という割合が低くなるのは当然かと思う。


2, 自己責任論が強いのではなく、人の目ばかり気にしている


NHKの番組などで、性風俗に働くシングルマザーの特集などをみたけど彼女らがそこから抜け出せない理由は子供を抱えてることだった。一時的にでも子供を施設に預け、職業訓練を受け独り立ちできたところで子供を迎えにいけばいいのは頭では分かってても、子供が生きがいであり、やすらぎであり、母親のプライドであるかぎり一時的にでも手放せないということだった。例えそれが貧困の連鎖になるとしても。

それとたくさんのシングルマザーのための支援団体も在るのだが、彼女らはそれらを知らないし、知ってもアクセスしようとしない。手助けはいろいろあるのに人の目が怖い。その番組とは違うが生活保護などでも役所が怖くて生活保護の烙印を押されるのが嫌で、親族に知られたくなくて生活保護を受けれない人もいる。主体が自分になく、他人からどう見られるかが生活の中心となっている。




これは過剰に空気を読みすぎていじめられるいじめられっ子に似ている。人の目が異常に気になり自分に自信が持てない。助けはあっても自分で手を伸ばさないどころか拒否する。 これはシングルマザーなどに限らずむしろ自殺者が多い男性にも言える。自分の生き方を開き直ることができずに、辞めて逃げりゃいいものを誰にも相談できず行き詰まってしまう。面の皮が薄いどころか繊細すぎて親か友達がいなければ何も出来ず、自分の意志で何も決めてこなかった、日本の教育だと一定数そういう人達が出てくるようになるのかもしれない。

彼らを一切傷つけないようによりそってケアし続けるのは難しくコストがかかりすぎる。海外で言う助けるが支援団体そのものなのに対して、日本で言う助けるは彼らが助けを求めるまでひたすらコストを払って誘導し続けることになる。ゆえに最初の質問に乖離が見られる。


もちろん、38%と28%の割合の話であって、海外に繊細な人がいないとか言わないし、自己責任論を消し去りたい人からするとこんな視点は、本来自分達が問題にして訴えてるワープアと貧困の連鎖とは別の話かもしれない。ただ日本が自己責任論強すぎるというにはあまりに日本人は安全で繊細に育てられ人の目を気にしすぎて主体性がなく、海外の判断基準からかけ離れてる気はする。

2014年10月24日金曜日

3Dテレビは早すぎたのか?

という面白いお題をコメントでもらったのでちょっと考えてみます。


 各メーカーともハイエンド機種以外どんどん3D機能を取り払って撤退ムードです。PS3でも3D対応ゲーム推してましたが、PS4では見かけなくなりました。3DSは3D機能をOFFにしてプレイしてる人が多いし、期待の3DAVも不発。僕らは立体だから興奮するのではなくそのシチュエーションに興奮してたのでした。

 とすると明らかに早すぎたし現時点でまるで成功していません。むしろ3DTVなんて必要だったのか? これからも不要なのでは? と疑うレベルです。最終的なゴールにスターウォーズのような3Dホログラム映像にもっていくため、それを研究してる人はたくさんいるから期待するとして、今考えるのは「これから3Dテレビはどうしたら売れるのか?」、「どういう映像を用意したらいいのか?」ということになります。


裸眼3Dへの取り組み


 3DTVには欠点がいろいろあって、まず「3Dメガネをつける」という一手間が加わるのはとてもめんどくさいので、裸眼3Dに期待したのですが東芝のそれや、任天堂3DSのぶれた画面はとても手軽な視聴に耐えられませんでした。最近出たNew3DSは顔の位置で3D画面を補正して激的にブレない画面へ向上しましたし、Amazon評価でも絶賛されています。

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 ただそれでもNew3DSは解像度の問題で3Dボリュームをオフにして2D画面にした方がよりクッキリして見やすいんですよね。ほとんどのゲームが3Dじゃなくても判断に充分な情報量をもってるので、画面がぶれなくなってもゲームによって好みは別れると思います。

 でもこの顔認識と裸眼視差バリアの組み合わせそのものはメガネ使うよりもずっと手軽なので、個人で見るTVに採用されるならありでしょう。ところでNew3DSみたいな顔補正+裸眼3DTVは発売してるのでしょうか?


3D映像の弱点


 3D映像の弱点として手前の飛び出した映像でカメラをパンすると立体が画面からはみ出た時の立体認識が崩れてしまいます。そのため画面枠に設置してなく、中央に浮いてるものだけが飛び出てそれ以外は奥行きとして作るのが3D映像の基本となります。が、これを守ってない映像ソースが沢山あって余計見づらくしています。ただそんなこと律儀に守ったらこれまでのカメラワーク技術や演出が全く使えなくて面白くない映像になるからです。


3Dに適した映像作りとは?


 簡単に言うと3Dと相性がいいのは動かない固定カメラで中の役者が飛んだりはねたりすること。現在のカメラカットが多数切り替わる映像ソースは3Dの認識においてやはり邪魔です。原因はカメラカットごとにズームがやたら切り替わるので、脳の3D認識はそのTVの枠だけ切り取って奥行きがころころ変わることを一瞬で追いつけなくて疲れるからです。認識が追いつかないと2Dと印象が変わらないのに疲れます。

 このルールを守る限りにおいて、例えばカメラが動かない画面固定の3Dゲームや、舞台演劇かつ固定カメラでの3D映像などとは相性がいいと思います。TVとは違いますが、IMAXシアターでの舞台演劇ライブビューイングなどがあれば、かなりこの条件に合うのではないでしょうか。その画面自体に奥行きのあるジオラマが存在しているというイメージです。


大画面も3Dもすぐ慣れる


 本来のマスターゲットから考えると「気軽に観たい映像」と「迫力の映画やスポーツ、ゲームの映像」に分かれますが、迫力の映像を観たい層も更に突き詰めると、3Dかどうかより演出のギャップやシナリオ、試合の展開に興奮するのであって3Dで大画面だから退屈な試合が面白くなるとか、2Dだから最高の逆転劇もあまり面白く無いということにはなりません。3Dそのものはすぐ慣れてしまいます。

 3D映像にはジオラマ固定カメラが最適だとしても、そんな鳥の視点だととてもこれまでの演出ができず美味しい場面を見逃したり、より面白くなくなります。しかし3D映像には固定カメラが最適です。この矛盾をどう解決するか? 実はみんなもうこの解決を体験してると思うのです。


 3D固定ジオラマと、2Dカメラ演出の融合


 そこで固定3D画面と、通常カメラワークの2D画面の合成映像にするわけです。

 歌手のライブ会場を考えてもらうといいのですが、5万人収容できるスタジアムで遠くに見えるリアル3Dの歌手と、会場のでかいライブ2Dモニターで歌手のアップやおいしいカットを両方見えるという構成です。

 つまり、サッカーだとフィールド全体の固定カメラとしての3D映像がTVに全体に映しだされ、そこに映るスコアボードのでかいライブ画面に通常の2Dカメラ映像が見えるようにする。こうすることでコンサートやライブ会場に行ったのとほぼ同じ視点で、3Dと2Dの両方の映像と情報量を楽しむことが出来ます。

この方法なら、人物が小さいとはいえこれまでのTV映像のカメラでは拾えなかったいろんな選手の動きもわかり、ジオラマ3D映像で推しメンのアイドルだけを追いかけることもでき、ライブのバックバンドも全部見えます。こんな映像があれば僕は絶対欲しくて買うでしょうし、ジオラマの人物は小さいので4Kなどの解像度が高い大画面映像ほど価値が上がり4KTVや8KTVも欲しくなります。


3D映像の価値は箱物ライブにある


 通常の映画やドラマではこの方法は使えません。本来の2Dカメラに映ってない全体像まで作らないといけないので、ちょっと現実的ではないですしそもそもジオラマ全体像なんて映したくないでしょう。もちろんそういうジオラマ固定3D映像と2Dカメラを前提としたオリジナルのシナリオや演出も舞台演劇として作れますが従来の映像作りとは全然違ってきますね。

 これからスターウォーズで出てくるような3Dホログラム映像なども開発されるでしょう。しかし、映画で使われたように主人公へのプライベートメッセージをいちいち3Dホログラムにする必要はありません。他人から丸見えにする必要もなければ、そんな情報量も要らないし、3Dホログラムを映す場所を大きくとるという問題まで発生します。これはTV電話が普及しなかったのと同じ理由で電話は音声だけで充分。むしろ伝える情報量は最低限にしたいのです。僕らはLINEやメールを全て映像メッセージにしたいわけではありません。

 なので、TVのニュースやバラエティ番組や映画も全部3Dホログラムで観たいかというとそういうわけでは無いのです。3D映像の価値はライブ映像やジオラマの再現、舞台演劇など、カメラが動かない箱物でかつライブ的な物が中心となるでしょう。


3D映像はTVや映画の延長で考えるのではなく、新しいライブメディアと捉える。


 TVという平面の映像を届ける利便性やカメラワークの方程式は成熟しています。今までのTVをそのまま3D映像にしましたというのは、メディアの進化としてラジオの収録スタジオをそのままTV映像で流すようなものです。確かに音だけより情報量は増えますがそのためにTVの前に座って映像を見なければいけないというスペースや余計な付加情報まで必要としてないのです。

 3DTVがここまでなぜ失敗したかというと、従来の2Dカメラワークをそのまま3D映像に延長する考え方がいけないのです。3D映像は別のメディアだと思うぐらいでライブ映像やジオラマ撮影に特化したような内容の情報量発展が望まれます。これから3Dホログラムへつながっていくとしても、映像ソフト面での主役は「箱物ライブ」を中心に広げて、それをこれまでの10倍や100倍の価値や数を売るぐらいのプロモーション戦略が必要と考えます。

以上が、僕の考える3Dテレビの映像戦略でした。

2014年10月23日木曜日

セガは早すぎたから失敗したのではない。

セガの話の前にこちら。

技術と時機 | Preferred Research

(1)時機を見極めるのは専門家でも難しい。しかし勝負をしないと舞台に上がることすらできない。

(2)成功してからの後追いは自分でゲームを変えられるぐらいでないと難しい。しかも成功している方は100倍ぐらいの差はあっという間につけることはできる

(3)成功する時機のスイートスポットは半年〜1年である。それより前より後でも成功することは難しい

(4)一方で準備は数年前からはじめていなければならない

 新技術とその投入タイミングはこんなにも難しいという話です。時機を見極めるのは当の専門家でも難しいのに、やらないと舞台に上がれないけど、そのタイミングが早すぎても遅すぎてもダメで、でも準備は数年前からやらないといけない、、、あまりに矛盾が大きすぎます。

技術会社であるPFIの中の人らしい話ですが、僕は「技術」と「時機」は必要条件であってそれだけでは成功に至らないと考えます。むしろサービスにどういう「背景哲学」があるかどうかが最重要であって、そこに「技術」と「必要な時機」が引き寄せられると考えます。

この話は(3)のスイートスポットを取り除くと必然的に(1)の時機を見極める必要も無くなるので、「早すぎる準備をし続けたものだけが来たチャンスを一番最初に捕まえられる」とシンプルに出来そうです。


 準備をして数年後のスイートスポットなんて確かに専門家でも分かりません。振り返ってみればあの時が分水嶺だったというのは誰にも明白ですが、まだ誰も成功してない新サービスで市場を開拓するなら、そのインフラや関連技術や世界のいろんな動向まで予測しきれないです。

【あまりにも早すぎたサービス達】


 例えばTwitterのサービスは早すぎました。2006年当初はギークやネットに詳しい人しか使っておらず、芸能人や大統領が使うようになるスイートスポットに至るまでには数年間待つ必要があり、その間収入もなく、猫がメンテナンスしてる状態でした。

 Googleの検索サービス開始も早すぎて、しかもCEOとなるシュミットが来るまで広告も大反対しているので同じく収入がベンチャーキャピタルだよりの状態で大規模Webクロールとサーバー処理をさばいてます。

 Youtubeも早すぎです。創業以来Googleに買収されても単体では毎年莫大な赤字を垂れ流しつつ、Google所有のダークファイバーを使い現在の広告システムが受け入れられるまで長い道のりを歩いてます。

 Amazonも早すぎました。ずっと赤字のまま問屋価格のような安売りを続け、10年以上たってやっと利益が出る頃になっても全額を技術とインフラ投資にあてて利益を出しません。

 Microsoftなんて「最初に溺れろ」なんて標語があるぐらいフライングすぎます。Windowsも、Excelも、Wordも、IEも、DirectX(当時はGameSDK)も、Ver1.0の製品が全然使えないのです。Ver3.1とかVer5ぐらいでやっと安定します。

 Appleも同じく、「S」のつかない 3G以前のiPhoneがスマホとして完成されてなかったり、当時SSDが高価で40万近くしたMacBookAirを買った人は、約半年後にちゃんとSSD性能が発揮できて10万も安くなる2代目が出てくるなんて思いもしなかったでしょう。

 彼らはサービスタイミングのスイートスポットなんて気にしていません。製品やサービスが本来どうあるべきか。それを使って人々にどんな感情を与えれるかなど、背景哲学がしっかりしてるからとにかく先に舞台にたち、来るべき未来の準備をするのです。

参考:
Twitterのコミュニティ哲学とは?創業者の本の解説を書きました : けんすう日記


2010年にPFIは電通とXappyというサービスを始めました。
...
コアなユーザーはそこそこいたが一般に普及することはなくサービスは離陸しませんでした。スマホが爆発的に普及したのはその1年後でした。一方で今のSmartNews, Gunosyはここしかないというタイミングで離陸し爆発しました。

 Xappyが提供するはずの体験を信じるだけの背景哲学があれば、数年改善し続け電通仕込みのマーケティング調査と、スマホ普及に合わせた段階的なプロモーション展開でその分野のNo.1になれたかもしれません。

Xappy(ザッピー)(@Xappyofficial)さん | Twitter

 Twitterアカウント更新が2012年で止まっています。開発自体が止まったのはいつかわかりませんが、SmartNews や Gunosy がTVCMも打つほど躍進したのは今年なので、あと2年改善を続けてリードを広げてたら違う結果もあったのではないでしょうか?


で、本題です。


【セガは早すぎたのか?】


 よくネタにされる話で、アーケード全方位回転筐体の「R360」、カラー画面で遊べる携帯ゲーム機「ゲームギア」、家庭用大容量CDROMシステム「メガCD」、ドリームキャストに「標準モデム搭載」、開発費ギネス記録のオープンワールドゲーム「シェンムー」など、セガが早すぎた話には事欠きません。


【R360】


 今じゃたぶん風営法違反になりそうな「R360」は早すぎたというか、いまだR360に世間が追いついてないので、まあ置いときましょう。


【ゲームギア】


ゲームギア 本体 【ゲームギア】

 ゲームギアはゲームボーイのモノクロ液晶に比べてカラーだったのですが、アルカリ電池6本で3時間はちょっと起動時間短く重たかった印象です。それに比べると「枯れた技術の水平思考」なんておもちゃ哲学をもってた任天堂の方がコスト的にも総合的なユーザー体験も格上でした。

 【メガCD】


MEGA‐CD 本体 【メガドライブ】

 メガCDはワールドワイドで600万台売れ、その後の「セガサターン」へつながっていくので、先行投資としても良かったと思います。「シルフィード」や「夢見館」みたいな名作や「ナイトトラップ」「スイッチ」などの迷作もありますし。


【ドリームキャストの標準モデム】


ドリームキャスト本体


 ドリキャス標準モデムは確かに早すぎたといえるでしょう。一番活用されたのはオンラインRPGのPSOだったと思います。(個人的には初めてネットでカルドセプトが遊べて楽しかったのですが) 当時まだADSLも普及してなく深夜のテレホーダイタイムでつながるかつながらないかというインフラ状況は厳しく、ゲーム初心者でも簡単に手続きできるよう、isao.net というプロパイダ会社を新たに作ったりネット接続対応も莫大な費用の一部となっていました。


 しかし、ドリキャス撤退の発表は発売から2年2ヶ月後の2001年1月。実はこの8ヶ月後、2001年9月に YahooBBが誕生してADSLの価格破壊が起こります。後にADSL元年と言われる年で、ADSLサービスでは不可能と言われた3000円の価格を各社が追従し契約者増で採算が合うようになり、日本はこのずっと世界一ネット通信料が安い国となります。

 たられば話ではありますが、ドリキャスには神周辺機器ともてはやされたブロードバンドアダプタの発売がすでにあったので、ADSLへの対応が可能。ドリキャスで必須のグループプロパイダ、isao.net がブロードバンドゲームユーザーを大量に囲い込むことで長期的なネット投資が回収できた可能性もあります。ここへバーチャファイターや、従量KDDI専用回線だったストリートファイター3、連邦VSジオン等を定額で繋げたらどれだけ快適だったでしょうか。

 2年目の年末商戦で進退を決めるのではなく、あと1年。いや8ヶ月でも、ネットを信じてネット対応ゲームを中心に作ってたらゲームの月額課金と、プロパイダ料金でユーザーを囲い込む芽があったかもしれません。しかし、セガからのネット対応キラーソフトは撤退時点でPSOのみ。(バーチャロンもあったかな?)。つまりセガは初めから社の戦略が統一してなく、背景哲学が部署ごとにバラバラなのが問題でした。

 これはバーチャファイターという名作を生み出しておきながら、家庭用アーケードスティックの作りがしょぼいとか、アーケードで業界最先端3Dゲームを作っておきながら、サターンは当初究極の2Dマシンとして設計されたとか、セガがやるべき3Dワークステーションの100倍のコストダウンを狙ったのがライバルのプレイステーションだとか、ネットワーク標準装備のドリキャスに遊べるネットゲームがないとか、CDROMの流通がカセット時代からあまり改善されてないとか、全部署がバラバラの方向を向いてたように思います。



【シェンムー】


シェンムー1通常版


(さすがに2世代以上前のゲームだと表情が硬いか?)


(幻のセガサターン開発Verのシェンムー。サターンのくせに顔のアップに切り替えるモデリング凄いw むしろこれぐらいの人形劇の方が違和感ないような。)


 1作目で70億、開発も慣れボリュームアップしたシェンムー2でも20数億かかってるとWikipediaにあります。それで100万本も売れてないのだからまさにチャレンジするには早すぎるオープンワールドゲームでした。ソフト面ではセガ最大の失敗作といえるでしょう。ですが海外では「2000年度・最も革新的なゲーム」という栄誉をもらったそうです。ドリキャス撤退の件もありここでセガはシェンムーの続編を諦めました。

 そして、シェンムーから2年後にアメリカのRockstarGames社からPS2でオープンワールドゲームの本命が出ます。「グランドセフトオート3」という1500万本売るモンスタータイトルです。ここで日本の開発者が「GTAはすばらしい」というと、海外の開発者から「何言ってんだ、最初にシェンムーがあったじゃないか。」と言われるほど「シェンムー」が実現したことはエポックだったのです。

 これもたられば話ですが、シェンムーのようにゲームソフト1本で完結しないことが分かってる連作ゲームなんてものはそもそも売れません。映画タイトルにわざわざ序章とか第1章とかつけないのと同じ理由です。売上も右下がりになります。中国を舞台に1作目で完結させてから2へ話を広げるべきでした。それなら1作目の売上も変わるし、2作目を全然違う世界観へピボットさせることも可能です。昨今のゲーム業界から逆算してもあのタイミングでのオープンワールドゲームはベストタイミングでした。

 であれば、RockStar社が次に1000万本以上売るオープンワールドゲーム「レッド・デッド・リデンプション」を起ちあげたように、あの時点でセガは「シェンムーエンジン」としてオープンワールドゲームのフラグシップが取れる可能性がありました。1作目の70億が、2作目は3倍以上のボリュームアップで20数億に収まってます。ならば「シェンムーエンジン」の3作目コストパフォーマンスはもう少し期待できるでしょう。このノウハウの蓄積を「大成功」と捉える人はいなかったのでしょうか? ドリキャス撤退でお通夜モードのセガにそんな余裕はなかったのでしょうから仕方ないといえば仕方ないのですが。


シェンムー2 (通常版)

 シェンムー2は撤退発表から9ヶ月後の発売でみんなの熱も冷め売上こそ15万本でしたがとても面白いゲームでした。PS2用にエンジンを作りなおすのは無茶かもしれませんが、3作目に全章が入った完全版を出すなり、違う世界観で勝負したら面白かったと思います。あまりにダメージが深かったのか4年後の「龍が如く」までセガは自ら開拓したジャンルで沈黙してしまいましたが。

大ヒット御礼!『龍が如く5 夢、叶えし者』国内出荷50万本突破! そして、『龍が如く』シリーズ全世界出荷累計も600万本を突破!! | トピックス | セガ 製品情報


龍が如く5 夢、叶えし者

 シェンムーのノウハウも引き継がれたであろう「龍が如く」 は、毎年新作を発表し常に50万本は売り上げるというひとつの稼ぎ頭に成長しました。とはいえ今のところ日本市場向けの作品。シェンムーの悪夢が忘れられないセガにとって「龍が如く」のGoサインが降りたのは、RockStarGamesによるオープンワールドゲームの成功例と、龍が如くチームの徹底的なコスト管理によるものでしょう。しかしオープンワールドゲームの実現はもう目新しくもなく、シェンムーから4年間のブランクは海外他社が追いつき追い越すには充分な時間でした。

 (2)成功してからの後追いは自分でゲームを変えられるぐらいでないと難しい。しかも成功している方は100倍ぐらいの差はあっという間につけることはできる

まさに、成功したRockStarGamesとセガの関係にはこれが当てはまるように思えます。



【早すぎたプレイステーション】


 サターンが究極の2Dマシンを目指して開発が進められた時、CGワークステーションをゲーム機価格に落とし込もうというプレイステーション1のコンセプトはあまりに早すぎました。スーパーファミコンになれたゲーム開発者に話をしてもみんな3D映像でどうやってゲームを作っていいかわからないからです。正確には箱やステージを3Dで作れても、魅力的なキャラクターや「人」を3Dで表現する方法がわからなかった。大半の開発者が3Dソフト開発をイメージできないのであまりに早すぎたのです。開発会社はみんな任天堂の次世代機が出るのを待ってたのでほとんど相手にしてもらえませんでした。まだアーケードの最新マシンでやっとテクスチャのないレースゲームができるかどうかが実現されたところだったのです。

 そんな時にアーケードに出てきたのが、セガの「バーチャファイター」です。難しいと思われていた「人」をしかも最新の格闘ゲームとして実現し大ヒットさせました。キャラクターのモーションを3Dできちんと表現し、しかも大ヒット可能だということをセガが証明したのです。「バーチャファイター」はプレイステーションを開発会社に売り込もうとしてたSCEにとって最高のプレゼンテーションになったと語られています。



 このとき、アーケードでセガのライバルだったナムコの協力を得たのも追い風でした。アーケードを舞台にセガと切磋琢磨してたナムコのソフト群が無ければプレイステーションはセガに勝てなかったでしょう。でもプレイステーション開発当初はセガのバーチャファイターどころか鉄拳もリッジレーサーもなかったわけで、この段階でソフト開発社のあてがない3DCGゲームの夢を描くのはやはり早すぎました。しかし、チャンスは早すぎる準備をしていたものが一番最初に掴むのです。


【セガは早すぎたのではない。自らのコンセプトに世の中がすぐそこまで追いついて来てたのを最後まで信じきれなかったのだ。】


 サターンが当初究極の2Dマシンとして開発スタートしたのは仕方がないでしょう。その頃まだCGのアーケードゲームはなく、後に開発したアーケードのMODEL2基盤でも高価過ぎる上、半透明テクスチャも使えないまだまだ発展途上の機種でした。CGワークステーションをゲーム機に落とし込もうとしたPSの設計者、久夛良木健の目指すアーキテクチャの方がもっと早すぎる未来を見据えてました。むしろその状態からバーチャ2のすばらしい移植などを達成し数々の検討をしたサターンは特筆に値すると思います。

 しかし、ドリキャスのネット対応とそのための周辺費用は後発のPS2よりもずっと先見の明がありました。そこまでしていながらソフトの準備をして来なかったのは、ネットの普及を待ってたから。ネット対応が早すぎたのは確かです。しかし常時接続のゲーマーが揃ってくるのは撤退を発表した年からでした。

 売り方、まとめ方は間違えましたが、大規模なバジェットによるオープンワールドゲームのチャレンジもずっと先見の明がありました。商品として今回は失敗したけど、オープンワールドゲームエンジンとしては大成功だという自分達の進む道を信じて、すぐさま世界展開への失敗の分析とPS2への再挑戦を信じていたらどうだったでしょうか。これもRockStarGamesが大成功したから言えることであって、社長交代があって、オープンワールドの成功例もない当時にそんな事思える人は少なかったでしょう。僕も結果が出た今だからこそ言えるのであって、もし当事者ならとても信じきれなかったかもしれません。


1ユーザーとして僕も期待してたドリームキャストの結果は残念でしたが、

【早すぎる準備をし続けたものだけが来たチャンスを一番最初に捕まえられる】 


ことには違いないと思います。

気をつけるとしたら

自分達のコンセプトや背景哲学を未来にあるべき姿だと徹底的に考え抜いたか?

その背景哲学、未来がどうあるべきかを成功するまで柔軟に調整し信じきれるか? 

それを全社で共有しているか?

もしそのビジョンを共有できずバラバラに動いてたらそのチームは勝てない。
信じてなければ目の前のチャンスにも気づかなくなる。

挑戦を続けるためにはバジェットで勝負するのではなく知恵で勝負する。
(シェンムーはサターン版で一度発売して反応を見る手もあったはず)

などが挙げられるでしょうか。

 ムーンショットというケネディが起ちあげた月へ到達する計画がありますが、月は誰にでも見える未来で、いつか到達すると誰もが考えていても実行に移す人はいません。これを100倍速で達成しようとするなら、たくさんの業界と人材とアイディアとの掛け合わせが必要でしょう。

世の中ほんとにいろんなことが起こるので、時には業界外からの助けやチャンスもあったりします。 自分達で持ってない無数のチャンスやアイディアを発見して掛けあわせていくなら、自分達のコンセプトを信じて、やれるだけのことは早めに準備して力の及ばない所は天に任せるぐらいの気持ちでなお信じ続けることが、その後のたくさんのチャンスを発見できるのかもしれません。何も準備してない時に未来の協力を約束する人はいませんが、自分達でできることは全て準備してから、最後の協力をお願いすると案外たくさんの協力者が見つかるものです。

2014年10月6日月曜日

頭空っぽのほうが夢詰め込める



SWITCHインタビュー達人達(たち)▽鳥嶋和彦×加藤隆生~ヒットを生むコツ! - NHK
の再放送を見ました。

鳥嶋編集長が、ドラゴンボールZの主題歌を引用してましたがまさにその一言に尽きるかと。

鳥嶋和彦 - Wikipedia

編集者として多くの漫画家を発掘・育成しており、中でも鳥山明、桂正和の2人が当人達の成功もあり特に有名。彼等は様々な場面で鳥嶋を恩師と呼んでおり、鳥嶋が『Vジャンプ』を立ち上げた際に連載を行うなどと繋がりが深い。鳥山については『Dr.スランプ』と『ドラゴンボール』の編集を、桂については『ウイングマン』の編集や『電影少女』の発案に関わっていた。

SCRAP - Wikipedia

株式会社スクラップ(SCRAP Entertainment Inc.)は、リアル脱出ゲームを中心としたイベントの企画・運営などを行う日本の企業。本社は京都府京都市中京区にあるが、本社機能としては東京都渋谷区の東京オフィスである。「リアル脱出ゲーム」の登録商標を所有している。

代表者 加藤 隆生(代表取締役社長)



【編集者としての才能は「からっぽ」なひとがいい】


「パッと才能が来た時に握れるかどうか。手が空じゃないと握れない。自分に自負があったりすると握れないんですよ。」

編集者としての視点なんで漫画化の才能を読みきれるかどうか。自分なりのマンガ哲学や編集感が強すぎるほど素直な視点で見れなくなるのかもしれません。

鳥嶋氏は、新入社員の頃ジャンプ最新号のマンガを読んで順位をつけてと言われたそうです。しかしアンケートの結果は全く逆。ジャンプの新人編集はみないかに子供視点の目で漫画を見てないかに思い知らされると。


僕はこのエピソードを聞いてアインシュタインの言葉を思い出しました。

「常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションである。」

アルベルト・アインシュタイン - Wikiquote


【頭を「からっぽ」にするには?】


生きていく上で常識、偏見のコレクションは必要です。何の常識もなしに社会を渡り歩こうとすると、すべての行動を1から考えなおして相手に説明したり、それを相手に納得してもらためとんでもないコストがかかり、常識の世界で受け入れてもらえません。

でも、偏見のコレクションを沢山抱えるのは構わないと思うのです。僕の中では敵を許す、悪を受け入れ取り入れるとかで考えるのですが、そのとき偏見が一致しない矛盾したコレクションを抱えてそれをOKとする。あれもOKだし、これもOKで、その偏見の一段高い視点からまとめて圧縮したら、ひとつの偏見に囚われることはなく頭の空間が空くと思うんですね。


【頭を「からっぽ」にする方法?】


「黙ってあなたの話を聞いてくれる人を1人設定する」


番組で加藤氏が、「相談できる相手がいなくてほんとに困っている」と打ち明けるシーンがありました。リアル脱出ゲームをこの規模で続けて運営してる例は過去にない、前例がないので、いろんな問題が起こった時に誰にも相談できないと。

で、鳥嶋氏が総括的にアドバイスしたのがその言葉。

「人間ってしゃべるだけでずいぶん頭のなかが整理される。実は相談するってことはアドバイスなんか求めてない。聞いてもらえるだけで自分はこんなこと考えてたんだとか、こういうこともあるんだとかずいぶん楽になる。」


これはほんとにそう思います。ただ、これは人でなくても良いのかもしれません。

プログラムでは誰かにバグで困ってることを説明しきったら解決することがあるので、
ベアプログラミングという手法が在ります。テディベアに状況を説明するという方法です。


ベアプログラミングと告白デバック: あんどコンサ

これは、とある計算機センターのヘルプデスクに、テディベアのぬいぐるみが置いてあることに由来します。

どうしてもプログラムが上手く動かない。いったいどこが悪いのか、考えても考えても解決できない。……こんな時、一度煮詰まってしまった脳みそでは、それ以上いくら時間をかけても自分だけの力では解決できません。

でも、その悩みを他人に説明しようとした途端、自分自身の問題点に気づいてしまう場合がよくあります。言葉にする過程で、頭の中が整理されるんでしょうね。

整理して説明することが重要であって、相談相手は特に人間でなくてもかまいません。つまり、テディベアのぬいぐるみは、人間のスタッフに相談するまえに、まずクマ相手に相談しろというわけで置かれているのです。これだけで、トラブルのかなりの割合が解決してしまうわけですな。


同様の手法に「告白デバック」というのがあります。

読んで字のごとく。問題が発生したら、とにかく誰かに問題を告白します。大抵の場合は、相談相手が何も答える前に、自分の頭の中で問題は解決してしまうわけです。


どちらも、有名なプログラミングの教科書に載っている由緒正しい手法だったりします。テディベアの件は、かのカーニハンの「プログラミング作法」。告白デバックは、McConnellの「Code Complete」です。


僕の場合はこのブログがそれにあたるでしょうか。
よく、過剰に説明しすぎたり引用多すぎたり本論と外れるような長文記事を書いて、、まあそれらは反響もなくあまり読まれないのですが、それこそ相談してアドバイスが欲しいわけではないので、一旦自分の思考を全部出し切りたいという思いが強いです。一度出しきったらより熟成した次のアイディアや思考がでてきますから。


すでに偏見をもってしまった自分を本当の意味で頭をカラッポにする方法はわかりません。しかし、鳥嶋氏のアドバイスにもあるような「聞き上手な友人」でも「テディベア」でも「ブログ」でも匿名のメディアでもいいので、自分の思考を出しきることで頭のなかに少しカラッポな余裕が生まれると思います。


鳥嶋氏はもうひとつこういうアドバイスもしました。

【楽になるには責任転嫁したほうがいい】


「自分でもう、しょわない。」

まさに、自分で仕事を手放したらそのぶん頭空っぽにできますね。

もちろんこれは、加藤氏も代表として沢山の仕事を任せてるようですが、任せるなりの不安はつきまとうそうです。しかしそれでは結局その不安にさいなまされて頭空っぽにならない。

鳥嶋氏も有名なゲームプロデューサーに言われたそうですが、


【任せたらチェックしてはいけない】


「人はチェックされることを分かってたら仕事の手を抜く。」

これは結構ぐさりと来ました。
鳥嶋氏も1週間悩んだそうで加藤氏も困った顔をしていました。

でも、確かにそうですね。最終判断がチェック者にあるのなら修正されそうな尖ったことはしません。自分の作品ではないと思って無意識に力をセーブするかもしれないし、読者視点よりもチェック者視点を作品が丸くなるでしょう。

「見て見ぬふりをする」
「結果が出た後にコメントするのはいい。」

という、結果まで含めて責任を任せるのであれば、最終判断が自分にあるなら本気度が違ってくると思います。

とはいえ、現場からの叩き上げの人で部下に権限あずけて社運を任せるのは相当怖いでしょう。職業によっては眠ってる部下の能力を出してもらいたいわけじゃなく、安定して決まったことをやってくれたらいいということも多いです。

例えば少年ジャンプは連載20本前後でリスク分散しつつ、かつ結果(アンケート)が毎週出てくるというフィードバックの早さがあります。任せてからの結果と修正が早いからこそチェックしないでもいい体制が作れます。


この話は編集長としてなのか、編集者としてなのか、いつからどこまで自覚的なのか考えると面白いです。

なにせ鳥嶋氏はボツ連発するような鬼編集者。二人三脚で漫画を作ってチェックしていく編集者として漫画家に任せっきりにはしないはず。

番組内のエピソードでも、鳥山明の「Dr.スランプ」案はアラレちゃんが第1話で消える予定でした。主役はDr.スランプのせんべえさんで、その発明品のひとつに過ぎないということですね。少年誌で女の子を主人公にするのが嫌だったそうで。でも、鳥嶋氏はアラレを話の中心に置くべきだと、短編で賭けをして女性主人公の人気があったから鳥嶋氏の案でDr.スランプは発進したそうです。鳥山明に任せっきりだと今のアラレちゃんは誕生してない。


しかし、ワンピースは

ONE PIECE - Wikipedia

「成功も失敗も自分の実力次第という考えで、担当や読者からのアイデアは基本的に受け付けていない」

とあるように担当編集者は作品に手を加えてはいないもよう。だからこそ、あれだけの大長編群像劇を担当編集者が変わっても方針変更されないまま続けられるのかもしれません。

ジャンプ編集者の仕事は、アシスタントや仕事場の確保、飯とか健康状態に気を配ったり、ゲーム化、アニメ化などの調整まで担当編集者の仕事らしく確かに相当な権限を任せています。漫画家とどこまで一緒にやっていくのかというのは、それこそ担当者や漫画家ごとに距離感が違ってて決まったルールはないのでしょう。


だた、鳥嶋氏自身の心境の変化がどの時期からの話で、作家に対して編集者として対応が変わったのか?なども深堀りして聞いて欲しかった所です。


【悟空が成長することに大反対だった】


Dr.スランプの例では、「少年誌で女の子を(主人公に?)描きたくない」という頭が凝り固まってたのは鳥山明のほうでしたが、ドラゴンボールでは「今の悟空は戦闘のたびに(不自然に)大きくして描いている。だけど筋肉をちゃんと描かないと戦闘のビジュアルとして自分の満足の行く画面にならない。だから悟空(の頭身)を大きくしたい。」という意見に鳥嶋氏は大反対だったそうです。いわく、

「少年漫画の鉄則ではキャラクターをいかに(読者へ)売り込むか。連載開始依頼人気が下がり続けたドラゴンボールをせっかくジャンプNo1まで育てたのにそのビジュアルを捨てないといけない。」

かなり不安だったそうですが、この手の変更で必ず来る子供からの抗議電話はこのとき一切なく、ドラゴンボールは悟空の成長も受け入れられさらなるヒットとなります。少年漫画の鉄則で頭が埋まってたのは鳥嶋氏の方でした。

「1回人気が出たからといって、放おっておくと落ちていく。常に工夫しながら新しいものを入れていかないと続かない」

この辺の経験も、ジャンプが常に新しい血を入れ続ける方針へと繋がってそうです。


【先輩の言うことは聞かなくていい】


「先輩に従うと先輩のコピーになる。ちゃんとした基本は早めに覚えてほしいけど先輩に合わせないでね。」
「先輩の仕事や誰かのマンガを見てちゃダメ。研究してもいいけどマネちゃダメ。」


これは意外でした。ジャンプ編集部には、ジャンプ編集部なりのノウハウがあると思ってたからです。それこそインフレ天下一武道会システムみたいないろんなマンガ連載テクニックが。

むしろ担当者ごとにマンガを作っていく過程すらフルスクラッチなんですね。せっかく頭が空っぽな編集者にこれまでのやり方や常識をつめ込まない。自分達で1から夢をつめこむような常に手探り状態。

ノウハウを継承しないというのは効率が悪く、そうそう新人作家が大ヒットしてくれるわけもないのですが、ひとりひとりが1からもがいてるなら時代の変化には強いでしょう。それに教えてもらったことより作品を自ら研究する人たちのほうが本質を学べそうです。ジャンプがベテランを使うより新人発掘を重視するのも頭空っぽな新人作家とからっぽな新人編集者の方が時代に合わせた夢を描けるのだと考えてるのかもしれません。


【ジャンプがダメになったのは新人の新連載がないからだ】


ドラゴンボール、SLAM DUNK、幽遊白書など、大ヒット作が軒並み終了して部数が落ち込み、マガジンに抜かれる前後の話です。Vジャンプを起ちあげ少年ジャンプから離れてた鳥嶋氏は再び少年ジャンプ編集部へ呼び戻されました。

「同じ作家が違う連載を描いていくとタイトルは変わっていても中身が変わらない。子供にそれがバレてた。」

それであちこち謝って前編集長の企画を終了させ、編集部員に

「君たちが作らないと連載ないよ。だから頑張ってね。」

と無茶ぶりした模様。
しかし新人の新連載がなかなかヒットすることはなく、集英社の会議で

「しばらく100万部ぐらい落ちるかもしれません」

との報告。
しかし凄いのはここから粘って、「ONE PIECE」の芽が出てきたこと。そしてNARUTOやHUNTERXHUNTER、ヒカルの碁が続く。

ここはさらっと流してましたが、部数の落ち込みが止まらず、結果が出てないときに現場の担当者や新人作家に任せて信頼しきった、というのは凄いことだと思います。普通は加藤氏のようにそれを不安に悩んだり、自分自身で企画を進めそうなところ。

ここに「運良くヒット作に恵まれた」では片付かない、現場の力を引き出す仕掛けが番組のインタビューに散りばめられていると思います。「頭空っぽのほうが夢詰め込める」いやほんと神回でした。