2014年12月28日日曜日

ソシャゲのインフレ問題


突如発表された『拡散性ミリオンアーサー』 サービス終了の真相を訊く [ファミ通app]


岩野弘明氏(以下、岩野)

いまだからお伝えすると、
もともと『拡散性』を配信する前後で、
とあるどうしようもない事情からコアスタッフが抜けたんです。
その状態で運営を続けていき、ありがたいことにヒットはしていたのですが、
それ以降に新しい展開や盛り上げ施策を行おうとしても、うまく運営ができずにいました。

――そんなことがあったのですか。

岩野
コアスタッフが抜けてしまったがゆえに、
核となるプログラム部分がブラックボックスのようなものになってしまい、
それを手探り状態で更新していたんです。
それをなんとか打破しようと考え、運営1年後のタイミングでいまの運営会社に移管をしました。
そのタイミングでプログラムを1から作り直そうという話もあったんですが、
通常の運営をしながら並行して新規でプログラムを作るのは思った以上の難易度で、
想定していた作りにはなりませんでした。

結果、運営のしやすさはさほど変わらない状態で、
新しい仕組みを取り入れることも難しくなっていました。
そのような大きな壁にぶつかったことが、ひとつの要因です。



このインタビューは面白い。
拡散性ミリオンアーサーのプロデューサーは
わりとぶっちゃけトークするので
はたからみてるだけだと好感もてる。


しかし結論から言うと
拡散性ミリオンアーサーの失墜は、
インフレコントロールのための仕組みが薄く、
ゲームがシンプル過ぎて仕様追加しづらいのに、
KPIにあわせた課金イベントをしすぎたせいだと思われる。



コアスタッフが抜けたのが原因?


「コアスタッフが抜けてしまったがゆえに」
というのはあくまで方便だろう。
初めの3ヶ月ほどやってみたが
デッキ組んだらタップして前に進むだけのオートバトルなので
半裸の女の子捕まえる以外にやれることはほとんどない
かなりシンプルなゲームだ。


裏でどんな複雑な計算をしていたとしても、
まさかプログラムが仕様書とは言わないだろうから
このシンプルなゲームが他のソシャゲよりも修正が難しく、
作りなおすのが難しいということはないだろう。


ただ、あれだけシンプルなミリオンアーサーを
拡張しようとした場合は土台レベルから整合性とるのは難しく、
それゆえイベント運営にも歪んで問題がでてきたのだと思う。


運営の失敗


ミリオンアーサーの運営失敗というとこの記事でまとめられていて

メディア・業界の方へ『拡散性ミリオンアーサー』の不誠実な運営に私は怒っています。


お得なイベントで大量に課金させておいて、
やっぱりお得すぎたから、ポイント減らしますとか
他の項目をデフレさせますとか、
これまでのSR課金の価値が下がりますとか、
KPI最優先の運営になっていて、
課金したユーザーの配慮より
コンテンツの延命を優先してる事がわかる。
せっかくイベントに最適化した課金ユーザーへの
容赦無い裏切りが多すぎるようだ。

これはそもそもインフレコントロールができてないし、
イベントの影響を細部までテストしてないのがまずい。
拡散性ミリオンアーサーはそう大盤振る舞いするほど
1年中新しいカードが出るとか、
毎日シナリオが送られてくるような
大量消費できるコンテンツはもっていない。


コンテンツ消費が早過ぎる問題


ネットゲームには強さのインフレに対するコンテンツを作るより、
ユーザーが消費するほうが圧倒的に早いという問題がある。

コンテンツインフレ問題を
ドラゴンボールやイナズマイレブンで言うと、
日本一、世界一、宇宙一、魔界一、天界一、
あの世一、時空を超えて過去一、未来一。
という風に、強さのインフレは次元を超えてまで急激に追い求めないと
すぐにコンテンツが飽きられてしまう。
インフレバトル物の場合
過去、未来まであさったら作品の終わりが近いと考えていいだろう。

それをなんとか今ある素材で抑えるため、
インフレさせないよう長く遊んでもらうためポイントを出し渋るのと、
面白くしたり、課金させるためにポイントを放出するのとを
パチンコの出玉のようにコントロールする必要がある。

土台となる基本ルールは後から変えられない


拡散性ミリオンアーサーを長期運営するには、
このインフレの仕様をどうにかする必要があった。
しかし元々タップして前に進み、
デッキがレベル上げて物理で殴るオートバトルが初期仕様なものだから
この初期仕様にさまざまな組み合わせや、
コレクション要素や、アクション性などを無理なく組み合わせるのはかなり難しい。
それを入れるとシンプルな拡散性ミリオンアーサーではなく、
土台からまったく別のゲームになって、
これまでプレイヤーがやってきたことが無意味になりかねないからだ。


最初にコアスタッフが抜けたことを
最後まで引きずったような遠因にしているが、
新しい運営スタッフが作りなおしても想定通りいかないのは
初期のゲーム仕様がまずインフレに対応できてないのが問題だ。
毎回見たことある同じ敵を延々とタップするだけでは
ゲームが作業に成り下がってしまう。

ソシャゲは焼畑農業


で、課金ユーザーがいくらか離れたところに、11月、
乖離性ミリオンアーサーという新作が出たのがトドメとなったのだろう。

――実際、『拡散性』のユーザーが『乖離性』に流れることはありましたか?

岩野
かなり多いように思います。数字だけ見ていると当初想定していた以上でした。

安藤武博氏(以下、安藤) ただ、ひとつお伝えしておきたいのが、
本来『乖離性』が出たからと言って、
スマートフォン版の『拡散性』を終わらせる予定はまったくなく、
このような形、タイミングで終わるということは想定していませんでした。
完全に誤算です。

言い訳がましくなってしまいますが、想定していたのなら、
拡散性をベースにしたドラマの『実在性ミリオンアーサー』を仕掛けることもないですから。

――直近では10月の3DS版や11月のAmazon版などの展開もありましたよね。

安藤
我々としては、スマートフォンゲーム業界で誰もが成し遂げていない
“シリーズタイトルの1と2を平行運用する”ことを目指していました。
例えば、『リネージュ』や『ディアブロ』、
『ファイナルファンタジーXI』と『ファイナルファンタジーXIV』のような形で、
両作を続けて行きたかった。

――先ほどの岩野さんのお話にあったように、『乖離性』が配信されることで、
『拡散性』ユーザーが『乖離性』に流れることは想定されていましたか?

安藤
もちろん『乖離性』が出ることで、
『拡散性』のお客様が徐々に『乖離性』へ移行していき、
将来的に『拡散性』が発展的なクローズをしていく……という流れは想定していました。
ですが、今回のタイミングでのサービス終了は私の力不足による自爆みたいなもので、
“両方やりたかった”というのが前提にあったことは事実です。


それでも拡散性ミリオンアーサーは大健闘したほうで、
開始して3ヶ月や半年でたたむようなソシャゲが多いのも
こういうインフレのコントロールができず、
課金ユーザーからすぐに飽きられてしまうところに多くの問題がある。

中には、すぐたたむつもりで課金イベントで
一気に面白いところを消費させて次へ行こうという
焼畑農業的な運営もいたりするが
課金ユーザーもクソゲー掴まされるのに慣れてしまって
焼畑すら上手くいかなくなってるのかもしれない。


課金上位のゲームは長く楽しませるためにどうしてるか?


パズドラ、
モンスターストライク、
ラブライブなどは
対戦による消費、
合成の属性わけを複数段階、
カードコレクションのためのレアイベント、
多方向、多段階の実績コレクションとボーナス。
など、初期仕様から1方向にインフレさせすぎない仕組みがいくつも整えられ
当然ロード時間やUI、ボタンアクションひとつ取っても丁寧に作られてるが

なによりも
ゆるいアクション性から厳しめのパーフェクトスコア達成
という、「反射神経が加わったソシャゲ」になっていて
「ゲームのステータスアップ以上に自分の上達が楽しい」
という根本的な仕組みがある。

これは、ガラケー時代で5ボタンをポチポチ押すだけでは
「反射神経の上達が楽しい」という達成を得にくく
スマホでアクションゲームは元々難しいのだが、
3マッチパズル、おはじき、音ゲーの上記3タイトルが、
画面いっぱい使ったゆるい反射神経ソーシャルゲームとして
一番うまく成立した例かと思う。

アクション性だけだと難しいステージが超えられなくて飽きてしまい
ソシャゲだけだと、コンテンツ消費に追いつかないところ、
この2つを混ぜたうまいバランスが一番長くハマる。

モンハンもゆるいアクション性からはじまり、
ネットRPGなみのコンテンツを
最初から揃えるという点は似てるかもしれない。

でもスマホでアクション性というのはかなり難しいところなので
ここを開拓したり、割って入るのは結構発想の転換が必要だろう。

そこで、クラッシュ・オブ・クランは
「非同期対戦」
というまた別の消費軸を持ち込んだのが面白い。
これは確かに長く楽しんで消費できる。
画面の操作が限られてるなか
こういう発明で開拓していくのがスマホゲームのよいところだ。


ではまだこれからである3DS版やVita版の拡散性ミリオンアーサーもダメか?


といえばそうでもなく

スマホでの反省を活かして、LVやステータスひとつひとつを大事に扱い、
それこそMMORPGの長期運営のように、
コンテンツ追加に合わせたインフレ消費のコントロールができればいい。

LVひとつ、ステータス一つ、MPひとつで達成感を味わわせるという意味では
「ドラゴンクエスト」という最大のお手本が当のスクエニにあるはずなのだが、
ここを大事にコントロールして、たまに会心の一撃やはぐれメタル出して、
プレイするたびに達成感がでるような実績やコレクションになっていれば
長期の運営は可能なはず。

大人課金をしたいというユーザーを捕まえて
スマホレベルで大儲けしようというなら
課金イベントで同じ轍を踏む可能性も高いが、
3DSやVitaユーザーならもう少し長い目で見た運営を期待できるかもしれない。


まとめ


結論は先に書いたが、
コンテンツのインフレ消費をどうコントロールするか?
というのは、一番最初に考えて仕込まないと
後からどうこう仕様を追加しようとしても、
土台から別ゲームにでもしない限り、
なかなかどうにもならない部分なんだというのを
最後のポチポチゲーかもしれない拡散性ミリオンアーサーは
教訓として教えてくれたのだろう。


ソシャゲを運営するというは、
KPIがベースではなく
プレイヤーによる「毎日の達成感」がベースであって
それを最初に本気で考え抜いたのがパズドラなのかもしれない。


追記

――ちなみに、サービスの終了自体はいつ頃を予定されているのでしょうか?

岩野
2015年3月末です。それに向けて2014年12月27日(土)からサービスの一時停止と、
メンテナンスを行います。その後、2015年1月19日(月)にサービスを再開します。
具体的にどうというのは決まっていないのですが、
お金を使わなくてもいままでの”拡散性ワールド”を
楽しんでもらえるイベントを投入する予定です。
また、2015年1月30日(金)にミリコインの販売も終了します。
そこから2ヶ月間は手放しで遊べるようになっていき、
ベストなフィナーレを作り上げていこうと考えています。


実はここも気になるところ。
旧FF14のグランドフィナーレが、
かなりはっちゃけた盛り上がりイベントになったそうなので
スクエニの維持と、信用を取り戻す意味で何をするか
さすがにFF14ほどのことはできないとしても
再びダウンロードしてみようかと思う。



実写演劇の実在性ミリオンアーサーが面白いので2期もお願いします。

2014年12月23日火曜日

若い時ミスチルの歌詞に感銘を受けた人ほどミスチルが嫌いになる法則



Mr.childrenが嫌いである

僕はミスチルが嫌いだ、
嫌いになったのほうが正確か

何が嫌いかというとミスチルの曲を聴いていると
安っぽい自己啓発本や浅い哲学を聞かされているような気になってくる

くるみのPVに出てくる夢やぶれたオヤジの哀愁も
しるしの静かなメロディーラインも
HANABIの怠惰にも似た歌詞も
全て慰めに寄りすぎているような気がしてならない

優しいのだけど優しいまま終わってしまう
ものすごいぬるま湯に浸かっているような気分になる。


はてブコメントでも「昔はよかった」
「深海」「AtomicHeart」までは良かった。
などの意見が散見される。


実は僕も似た意見だ。





最近のシングル、月9の信長協奏曲に流れる「足音」 でも
映画「僕等がいた」の「祈り」でも
やはりミスチルに求められるのはこういう曲かと、
昔ほど共感できない自分がいる。


もう少し個人的な事を言えば、
若い時のこじらせやつまづきには、その優しさに共感できた。
不況に突入して世間や社会は厳しく、負け組はマイノリティで
負け組になるまいと必至にもがいて疲れている人にも
ミスチルは優しかったと思う。

ミスチルの歌詞には他の売れてるアーティストより深みがあったし、
時代の切り口を上手く捉えた伸びる若さがあるように思えた。



、、あれから20年。

やさしさは、、やさしさはもういいよ!!

ドラえもんや、バックツーザフューチャーがあったはずの今♪
20年も時間は止まったままで♫
世界の時間を進めてるのはGoogleやAppleの狂気だ!

「そのままの君が好き」

とか言ってる場合じゃないって!!
もはや負け組がマジョリティで♬
草食系がはびこるほど世間は優しすぎて♫
なのにそのまま朽ち果てていいわけ!?

突き抜けなきゃどうにもなんないじゃん!!
求めてるのはロックだ!! メタルだ!!


同じ時代の歌が消えていくこの瞬間♪
ありきたりのラブソングを否定した君が、
一番ありきたりのラブソングになってしまったんだよ!!

時代を斜めに切り込むかっこよさを♫
教えてくれたのは君なんだよ!!

だからそんな君を僕はきる!
もうそこをどいてくれ!!!


(間奏〜〜♪)



、、そうだ、優しい歌だけじゃなかった










ぬるま湯でも、鬱でもない
そして今聞いても色褪せない元気















やっぱり、そのままの君が好きだ♪






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2014年12月9日火曜日

映画の寄生獣はどうすればよかったのか




超映画批評「寄生獣」25点(100点満点中)


『寄生獣』見てきた。オマエに監督をされて残念、という気分 - 超時空超巨大小学6年生


少し山崎監督をフォローしたい。


原作ファンから改悪されたと言われてもしょうがないけど
僕は正直よく実写版を作ってくれたと思う。


人物を省略しすぎとか、1時間49分の2部じゃなく
2時間45分x2部の長編にすべきという意見は
ぜひそうして欲しいところだが、
そこまで上映館の負担が増えてヒットするかというと原作観てない人には
あまり関係ないと思われる判断なんだろう。


長編マンガの実写映画化は鬼門で、
尺が厳しすぎて全部の要素が入らないうえ
どの要素が抜けても本来の表現として物足りなさがつきまとい、
実写のCGや特撮技術が追いつかないなどの理由がある。
(とはいえ邦画CGは視聴に耐えるものになって、実際ヒットしてるが)


寄生獣など、語りも間も多い物語全10巻全ての登場人物を、
映画2部作220分に納めろというのはかなり無茶がある。

批判されてる母の行動の件も、
本来は旅館の女子高生やら、父親や、宇田らが外堀を埋めながら
新一の心情が浮かび上がって見える仕組みなのに
尺の都合上それらをバッサリカットせざるを得ないとなると、
この対決シーンで主人公の心情がまとめれなくなる。

この場合火傷の手が勝手に動く以外の締め方があったかというと難しいだろう。



ハリーポッターに原作批判が少ないのはなぜか?


ハリーポッターでも、
原作と映画とではだいぶカットされてるシーンが多くて、
映画は物足りないという気がしないでもないのだが、
あまり目立つ原作批判を聞かない。


これは元が漫画ではなく小説だからだと思う。
小説はまだ「絵になってない」段階なので、
「絵」を作る映画化というのはまだ見たこと無いプラスの作業なのだ。
シナリオ的には尺の問題でカットするしかなくても、
そのまだ見たこと無い映像が見れるというのはありがたく、
小説と映画で補完関係となれる。

しかし、漫画はすでに「絵」になっている。
するとシナリオも、映像もどちらも引き算になってしまう。
ゆえに批判にさらされる。


ここで原作ファンを少しでも惹きつけるには、原作に忠実なCGではなく
原作を上回る表現やバトルだと思う。
旧エヴァに対して、エヴァ序・破のような
原作を超える映像にするのなら、
原作ファンの予想を少し良い方向に超えるなら
実写やCGなりの価値が生まれるのではないだろうか。



この意味で期待できそうなのは「進撃の巨人」の実写版である。



映画スタッフが協力したスバルのCMは、
漫画やアニメ以上の巨人の狂気が表現されている。
寄生獣の予告は想定内の表現だったけども、
このCMはワクワクしたし、映画館でみたいと思わせる。

もちろんこれも長編マンガで尺に限界があるので、
シナリオが原作通り忠実にいくなんて期待はしない。
ただ、この映像ならオリジナル展開でも見ごたえありそうだ。


では山崎監督でなければ、誰が監督をすればよかったのか?


まだ第2部も公開されてないし、
興行収入としては大ヒットの可能性もあるので失礼な話だが。

「平成ガメラ」「デスノート」を撮った金子修介か
同じく「平成ガメラ特技監督」「ローレライ」
今度の「進撃の巨人」などの樋口真嗣か
時代に合わせた特異な演出をTVや映画に持ち込んだ
「ケイゾク」「TRICK」「SPEC」「20世紀少年」の堤幸彦か


最初の2人の批評から考えてみよう。

互いの価値観はなかなか相容れない、
理解しあえない関係であるがゆえに、
サバイバルの場ではきわめて強力な補完関係となっているのである。

だからこそ、この二人には、親しくはなれど決して越えられない壁、
という距離感を持たせなくてはならなかった。
それが、原作ラストの後藤戦における感動の結末への伏線でもある。


「寄生獣」って漫画は、最初のあのモノローグで
寄生生物が出現したところを描いていることろでよく誤解が生まれる。
連載漫画だし、岩明先生が描いているうちに
最初にあったテーマは多分、変質していったのだと思っていた。

地球とか、生物全体とか、環境とか、所謂‘エコ’みたいな
言葉で表されるような、人間と自然の対立から、
「我々は何故生きているのか」という実存を問うテーマに変わっていったのだと。



価値観が相容れない、理解し合えない補完関係、
「我々は何故生きているのか」という実存を問うテーマ。

、、だとしたら、押井守しかいないじゃないか。
パトレイバーのジャッキアップなんかしてる場合じゃないですよ!
プロデューサー何やってんの!!
ミギーも田宮も広川も原作にないあらぬこと喋りそうだけど大丈夫!!
原作ありの第1作目まではきっと暴走しないよ!!!


いや、押井守監督の実写映画、、トーキングヘッドもAVALONも見たけど
ヒットしたなんて聞いたこと無いけど、、、
でも押井監督はキャッチーな原作ありきだと思うんですよね。
うる星やつらや、パトレイバー、攻殻機動隊がそうだったように
もし押井版の実写「寄生獣」があれば、
はじめて実写ニーズとマッチして大ヒット出来たんじゃないかと。



まあ、いまノリノリの山崎監督と、押井監督を比べたら
どの会社も山崎監督を選ぶんだろう。
そのほうが確実にヒットするという判断で。

でもこの映画が入り口でもいいんですよね。
あとでコミック読んでもらえるなら、
ヒット請負人の山崎監督が間口を広げてくれると考えて
ほんとの寄生獣はこうじゃないんだと語れる人が増えるのも
よくぞ話題になるほどの実写版を作ってくれたと思います。



寄生獣 完全版全8巻 完結コミックセット
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2014年12月3日水曜日

共産党が政権を取る方法



ある共産党事務所での質疑応答(2014/11/26) - Android版ソーシャルゲーム報告

このインタビューを読んで、共産党がもし政権を取れるとしたら?
という妄想を考えてみた。

1,資本家や経団連と手を組む「共産党」


資本家と経団連を中心に、3%ほどの金融資産を提供してもらう。
税金という印象の悪い名前でなくてもいい。

そもそも資本家は購買力が高く、
社会インフラが安定してる国でこそ儲かる。
どうしたってサラリーマンは、グローバル化の低賃金化がかかり
生かさず殺さずのところに落ち着く。

そして利益の美味しい所は資本家がもっていけるのだから、
ある程度下にお金を回したほうが
ずっと自分の資産が膨らむようになる。

僕ら庶民は税金や財政をゼロサム・ゲームのように考えて
消費税の10兆円をどうするかになやむが、
世界の金融資産は数年で倍々ゲームとなりすでに数京円に達しており、
実態のない金融という世界ではゼロサム・ゲームではなく、
新しい技術と市場と、その活用が生まれるほど
お金がどんどん増えていく仕組みとなっている。
そもそも日本の株価や価値は、そのインフラや社会保障込みで動いているものだ。
こういう資本家は自分が儲かるために投資することはいとわない。

今の共産党の言い方では、中産階級まで全部敵に回すからダメ。
言うなら、
「あなたたち資本家のお金をこう上手く使った方が、
さらに経済を回せてあなたたち資本家の得になる。
中間搾取、下請け構造の偽のトリクルダウンなんてなく、
なんの利権のしがらみもなく
直接低所得者層の支援ができる党は私達だけだ。」

という
資本家や経団連の味方としての共産党となり、
生かさず殺さずのレベルを引き上げることが重要。

形のうえでは、共産党が資本家からお金を奪う事に変わりはないのだが
資本家を敵ではなく味方として扱うだけで、結果はかなり違ってくる。


2, 利権構造の改革を行う


支持基盤の利権とつながりすぎる自民や民主ではこれが無理。
医療が道路教育だろうが、ここにメスを入れられるのは
全く関係ない共産党しかないだろう。

長い利権構造にどんどん無駄が生まれるのはお役所仕事や
官僚の天下り上しかたないことでもあるし、
全てぶっ壊して作り変える時には一時的に大失業だって生むだろう。
でもそれぐらいの痛みを覚悟でやりきれば恒久的に税金を減らせる。


実はこの点で資本家が一番信用できる政党こそ共産党だと思う。

資本家も馬鹿じゃないので、自分のお金を適切に低所得者層へあてて
生活スタイルの向上や購買力へつながり
経済が廻るならばそれに越したことはない。
しかし、普通に税金として取られるとその何割もが
無駄な利権構造に絡み取られてしまう。
つまり資本家から別の資本家へお金が移ってるだけで
まったく得しない税金になる可能性が高いから払いたくないのだ。

なので利権構造のしがらみのない共産党は、
この点でも資本家を味方につけやすい。
あなた達資本家の税金という投資は無駄にならず
すべて庶民へ、倍々ゲームにとりこまれる種銭として使われるので、
より大きく返ってきますよと言える。


 3,「共産党」という名前を変える


その戦前からの名前の歴史やプライドが許さないだろうけど、
上記の資本家を仲間に引き入れて本当に変わったんだ
ということを示すためにも、
その名前の悪いイメージを払しょくするためにも、
共産党の党名変更はとんでもないインパクトになる。


これまでの「共産党」だったからこそ、
不正に強く、利権改革に強く、弱者に優しく、
そして強者の資本家とも協力する、、という体制に変更できたら
さすがに今回の選挙には間に合わなくても
あながち4年後の自民党へ対抗できるのではないだろうか?



共産党なんて大丈夫か?


確かに、
共産主義の計画生産になってみんな貧乏になるのではないか?
資本家や企業が全部日本から逃げるのではないか?
国防が弱体化し、中国の属国となるのではないか?
共産党に政治や経済をまわすことができるのか?

また、戦後のいろんな事件やトラブルも考えると
どれだけ弱者にやさしくてもイメージは悪い。
かなり悪い。

僕としては、共産主義で計画生産で
みんな貧乏になるという心配はしていない。
ソ連が没落し、中国がすでに資本主義を取り入れてるので
そんな理屈に合わない政策が実行されるわけないと思ってる。
(日本は社会党が政権とったこともあったが別に社会主義にならなかったし)

また、僕が思う「新生共産党」は資本家を仲間にすることがスタートなので
資本家も経団連も敵にはならない。

でも国防についてはたしかに不安だ。
詳しくないので棚上げになるが、
上記方針の経済政策を中心に掲げるなら
国防抜きでも支持者は増えるかもしれない。


あと、政権取ったことない民主党の4年間がグダグダだったのに、
共産党に政治や経済が回せるのか?
官僚も味方になってくれるかというと、
それも大きな不安点になる。
改革なんて言ったら8年はかかるかもしれないのに、
ぶっ壊し中に4年後自民党へ戻ってしまうと
民主のときのように傷口広げるだけになってしまう。

そう考えると、大穴すぎて不安は尽きないが
こうやって選挙の選択肢を増やしてもらわなければ、
自民がダメならどこいれたらいいんだという現状では投票率も上がらない。


ぜひ共産党には、資本家や経団連を仲間に引き入れ、
官僚も、天下り狙ってる老害は無理だろうけど
入りたての若い真面目な官僚とのつながりを強化しつつ
そして名前を変えるぐらいのインパクトをもってほしいと思う。

自民党への対抗勢力として
これまでの敵(資本家から中産階級)を攻撃する政党では
今回も議席2桁すら届かないだろう。
ゆえに味方(資本家、経団連、官僚)を増やす政党になって欲しいと切に思う。

0.1%の富裕層格差が開いても一向一揆が起こらない理由

アメリカ人に衝撃「ついに富裕層0.1%が下層90%の富を抜いただって!?」1929年以来初の記録:らばQ


アメリカの「スーパーリッチ」が世界の所得格差を拡大させる 0.1%の最富裕層が世界の富を独占


この辺は、わりと煽ってる部分が多くて
別に富裕層の富が倍増したのは下位90%から2倍搾取したからではない。
下位90%も富裕層に比べればわずかながら所得は増えてる。
あるいは長いデフレ化によるサービス向上や技術の発達で、
同じお金で得られるものが増えてる。

というのは、2008年のNHK番組「マネーの暴走」において、
マッキンゼー調べで、
世界の金融資産は1京7000兆円とあり、5年前はこの半分だったそうだ。
つまり2003年は8500兆円で、
5年で金融市場がどんどん加速して増えてることになる。
2008年の話なので、2014年に3京円になっていてもおかしくない。
この増えた部分が格差となっているわけで、
低所得者層から奪って増やしたわけではないのだ。


ただ資本主義社会において、
サラリーマンは常にグローバルレベルの低賃金化圧力がかかり
増えた利益は資本家がもっていくという構造になる。

こういう社会構造の意味では、
日本でもNISAが始まったし投資は1万からでもできるし
格差の固定化を抜けるため、 家計に投資項目を混ぜたり
学生に対して投資を教えるということがあってもいいと思う。


政府はお金がなくて数十兆円の確保すら消費税上げるのも
経済に悪影響があってやりきれないのに
金融資産は数百兆円レベルで膨らんでいく。
これでは日本人全員がなんらかの金融商品もってないと
あまりにもバランスが悪い気がする。

富裕層の1%の寄付でいろんな問題が解決できるけど、
その理由がないので、どうしたらいいのか。
でもどうしてもそういう格差に目がいってしまうというか。
そのうち政府ではなく、資本家の意向で国が動くようになるんだろうか?
あるいはもうそうなってるのか。

政治が変わらず、こういう社会構造が続く限り
ただの教育だけでは格差固定の解消には弱く、
社会構造に合わせた金融教育も必要なんじゃないかと思う。

2014年12月2日火曜日

「けいおん!」に学ぶ格差問題


外資系OLのぐだぐだ 日本の格差社会は「差が見える」から問題になる:サイゼリヤで食べることで”気遣う”富裕層

そして、そういった場合に遠慮するのは「富裕層」だ。
ご飯を食べるとき外ならサイゼリヤかさくら水産で、
それでも相手のペース以上にお酒を飲んではいけない、
海外の話はしない、暮らしぶりが判るような話ではなく
「男女間の友情ってあると思う?」
みたいな、誰とでも話せる話題を選ぶ。
それでもちらっと現状が もれることがある。
そのとき、富裕層は「しまった」と思い、
貧困層は「なぜ”同じ”なのにこんな差が」と思う。

格差が問題に見えるのは、目に見える場所に差があるからだ。
派遣社員の前に正社員が座っていて「同じ」仕事をしている。
「同級生」で貧富が明らかに違う。
平等だといわれているのに実情が異なるとき、
怒りが生まれるのは当然のことである。

そういう意味で、私は階層別に学校を分けたり
職場を分けたほうがいっそお互いにやさしくなれるのではないかと、
一番最初のサイゼリヤの件を聞いて思っている。

大きな格差問題と、 個人のコンプレックスは別問題。
確かに、収入が同じ人を並べるほうがコンプレックスは発生しにくいが
それで格差問題は解決されない。

まあ、派遣社員と正社員で同じ仕事をしてるのはどうかと思うが
「同級生」を貧富で分けろというのは反対。
だってその世界ではレスポールが買えない唯と、
金持ちのムギがバンドを組めなくなるから。


映画 けいおん!  (Blu-ray 初回限定版)


「けいおん」の大人飲み会はサイゼリヤか?


もちろんこれはアニメのとても平和で理想的な世界だからこそ
格差問題的なコンプレックスは描かれてないわけだが、
ではこれを、現実の親仲間の飲み会で延長するとしたらどうか?

ムギはサイゼリヤに合わせても楽しくできるだろうが、
そんなことしなくても
ときどきムギがランチでもディナーでも奢ればいい。
海外の話だってしてもいいし、
なんなら海外の別荘へ招待したらいい。

友人関係で大事なのは、
一緒にいて楽しい時間を過ごすことであって
ただそれだけのことでお互いを認め合うことであって
そのとき金を持ってる奴が、
そのとき金のない奴の負担をすることである。

劇中でも、レスポールをムギの力で大幅値下げしたり、
別荘へ2度招待したように、
要は富の再配分を国のみに頼らず、
友人や仲間の中で行うことだ。


低所得者層は「気持よく受け取ること」を覚える必要がある


富裕層で大事なのは財力で友人の時間を「活用すること」であり、
低所得者層はメンツとかコンプレックスとか考えず、
子供のように「気持よく受け取ること」である。

どちらかというと問題なのは低所得者層のコンプレックスであって、
気持よく受け取ることができないことにある。
宵越しの銭は持たないという勢いの江戸っ子ならともかく、
お金持ちの視点が無く、低所得者層の金銭感覚では
富裕層のちょっとが「重い」ので、どうしても気後れしてしまう。


富の再配分で特に問題なのは低所得者層に「富を受け取る理由がない」ことにある。

 
国の財源では強引にばらまくことが出来ない。
では共産主義ならいいかというと、
それでは配るための生産力が上がらない。

実は会社としての富の再配分が成り立っていたのが
「年功序列」
何しろ「能なし」でもまともに歳相応の給料が得られた。
企業でほんとに金を稼ぐ部署は2割程度と言われる。
今の成果主義や派遣社員では、その2割しか大きな給料がもらえない。
年功序列だと企業の負担は大きいが、
そのぶん民間の購買力が高いので経済は回しやすい。

しかし、年功序列はバブル崩壊やリーマン・ショックという
巨大な波には耐えられなかったゆえ、
会社としての富の再配分は過去のものになりつつある。
というのは嘘で、別に成果主義や派遣社員制度でもそんな波には耐えられない。

人を切って法人を生き残らせるための、
短期的視点での成果主義や派遣社員への切り替えだった。
長期的に見て経済を回復するために、
法人や株主と同等に「(だめな)人(も)」を扱って欲しい。
富が回らなければいずれ富める者もジリ貧になる。


富の再配分を「国」「会社」「友人」の3段階で考えてみる


けいおんから学ぼうというのは、
富の再配分をその友人関係で考えて
「友人関係の富の再配分」を実現しよう。
となる。

さすがに直接金銭を与えるのは気が引けるし
(税金的にもまずいので)
富裕層はちょっと嘘をついてでもお金を見えない形で、
チケットが偶然あたっただの、 あれこれが余ってるだの
それこそレスポールの値引きや別荘じゃないけど
間接的な支援をしたらいいと思う。

低所得者層がここで遠慮するのは、それが「借り」になって
頭が上がらなくなると思うから。
それは貸し借りではない、唯とムギにそんな関係はない。
富裕層は友人関係に「貸し」のつもりで支援などしない。
 
例えば1万円分の負担が、自分にとっては全財産の2%でも
富裕層には0.0001%の出資だったりするので、
自分は人生の0.0001%の時間を出資して
一緒に楽しく過ごすという交換で考える。
それでも気が引けるならプラスアルファで場を楽しくするよう務めたらいい。

お互い嫌な頼み事は断っていいし、
富裕層のムギが困ったときは
出来る範囲のことで一緒に考えてくれたらそれでいい。
いつか富裕層が逆転したら自分も負担するつもりでいたらいいし、
自分よりさらに低所得者層には0.1%肩代わりしてあげればいい。

お互い貸し借りなど意識しないことが大事。


富裕層と低所得者層の友人で金を廻すミクロのノブレス・オブリージュ


岡田斗司夫は就職難の大学生に対して、
「誰か1人パチンコ屋の息子を捕まえて、社長になってもらって
好きなアニメやゲームを作ったほうがいい。」
といったが、ほんとにそれもありだと思う。

格差問題をミクロ側から解決する場合、
奢られても貸し借りはない、そのとき金を持ってる奴が出す。
そういう気持ちのいい関係を築くためにも、
学校は金持ちでも貧乏でもいろんな奴を混ぜたほうが楽しくなると思う。



2014年11月17日月曜日

UXエンジニアの人がたぶん言いたかったこと。



モンハン3rdとパズドラに言いたいこと - UXエンジニアになりたい人のブログ


凄い炎上しててワロタw

めちゃめちゃ叩かれてるけど、遅れてツッコむからには
あえてこのブログ主が正しい、
パズドラやソシャゲアプリは(ソーシャルゲーム)
もっとチュートリアル改善でユーザーを取れる、
という悪魔の証明でも考えてみよう。

議論のすれ違い原因は後で書くとして、

仮説の結論は、

システム開放が段階的ではなく最初から全開で
チュートリアルの段階が急過ぎるのが問題。
まだゲームが作業レベルで
ユーザーのプレイ限界に達してないのに、
必要になってない段階なのに
スキルや合成や魔法石のチュートリアルタイミングが早すぎる。
この説明過多で取りこぼしてるユーザーが
それなりにいる可能性が高い。


まずブログ主の視点で大きく叩かれてる原因は、


1、ユーザー体験をゲーム内のみで見てること。


友達に聞く、Webで調べるという
ゲーム内で完結してない体験を否定している。
これは1人でプレイする人を考慮しつつ、
いちUXエンジニアを目指す場合
Webなどのコントロール効かない分野を排除したいからかな。

僕は昔ファミ通の発売日欄に コナミ:シューティング(仮)
と書かれただけで何の発表もないのに勝手にワクワクしてたので
その後の新作発表のときも、 ゲーム買うお金貯めるのも、TVのCMも
ゲームをクリアするまで全部楽しい体験だった。
当然みんなで情報交換するのも
そのゲームについて後で語るのも全てゲームの一部だと思う。

あえてナイトトラップやデスクリムゾンというクソゲーを中古で買って
みんなでツッコみながら遊ぶのも楽しかったし。


2、興味が薄いのに「流行ってるから何かを学ぼう」とゲームを「遊ぶ」のではなく「勉強」してること。


説明放ったらかしのウルティマオンラインを楽しんだブログ主なのに、
モンハンやパズドラの説明が難しいとか、
こいつ何を言ってるのか全くわからないと大きくすれ違う点。

普通ゲームは「面白そうだからやってみよう」で
動機づけがされるのであって、ブログ主のように
「流行ってるから分析しよう」でやる人は職業病だ。
時間がない大人でこの作業は疲れる.

ゲームの動機付けは6800円のパッケージゲームなら、
子供こそある程度前情報をもって慎重に選ぶし、
ジャケ買いしたとしても、
6800円払ってるのだから元を取ろうと
それがクソゲーでも必至で理解しようという動機が働く。
(大人が6800円はたいしたこと無いと考えるとこの動機も無くなるが)


特に問題なのは「基本無料」のパズドラで、
流行ってるからという理由かつ無料でスタートできるからこそ
最初のチュートリアルすらウザくなる。
プレイ動機がないものをいくら親切丁寧に説明されても
目にはいらないし、頭に残らない。

ウルティマオンラインをやる場合も
好みのゲームという動機はあったはず。
「モンハン」と「パズドラ」には
「好みのゲーム」という動機がブログ主にないので、
(3マッチパズルは好みでも、めんどくさい合成が好みではないとか)
逆にそれだけ売れてるゲームなら
初期プレイ段階に動機が無ければいけない、、
と考えるからおかしくなる。
 任天堂のゲームだってどれだけチュートリアルが優れてようが、
肌に合わない、興味を持たない人だってたくさんいる。
任天堂のゲーム全てがモンハンみたいに400万本超えてるわけではない。


ソシャゲアプリなどはまだまだチュートリアル離脱者が多い

 
究極的には「ダウンロードした90%が1年間継続プレイしています。」
となっていなければ、何かが間違ってると考えても
いいんじゃないだろうか。
この数値が現実的ではなくてもそれぐらいの気持で研究するという意味で。
例えばもしパズドラが3000万ダウンロードで、
チュートリアル離脱者がわずか500万人で収まっていれば
それは優秀な数字なんだろうか?

 
だいたい「興味ないけどとりあえず流行ってるからやってみよう」程度で
ダウンロードした客だと、せっかくダウンロードしてもらったけど
最初の動機が薄いので、ブログ主のように
チュートリアルで取りこぼす可能性は大きい。

僕もソーシャルゲームで親切丁寧に
数分間使ってチュートリアルされるのは
とてもめんどくさく読みたくなくなっている。

それはゲーム本編の説明というより、
だいたい合成とガチャとショップと複雑な属性
の説明がめんどくさい。
最初から課金したいわけでもないし。

チュートリアルはシンプルなゲームのみにして、
なるべく文字を使わないで、 なるべくチュートリアルなしで
とりあえず好きに面白いところまで遊ばせてほしいと思う。


ゲームはシンプルだが、合成というシステムがからんでやたら複雑な印象になる


長く遊んでもらうためにも、ガチャを回してもらうためにも
合成という長期低成長システムが必要となり、
この合成を際限なく拡張するために
たくさんの属性が必要になってくる。
 
極端に儲かるゲームはこのフリーミアムなモデルでの成功例がほとんどなので
ゲームを効率よく進めていくには
この一見複雑なシステムを覚えなくてはいけない。
モンハンはフリーミアムではないけれども、
レアアイテムを探し武具を際限なく鍛えていくという意味ではこの合成システムに近いし
だからこそ何千時間でも楽しめる長期低成長システムとなっている。

まあここで、最初に6800円の壁があるモンハンは
課金で稼ぐというところがメインではないので、
最新作ではカメラ問題もある程度解決してるようだし、
ブログ主もどっちかというとパズドラに納得してないようだし、
ソシャゲアプリのチュートリアル改善に限定しよう。



プレイヤーが限界を感じた時に、システムを開放する


もし僕が感じてる問題点だけなら解決策はわりと単純じゃないだろうか?
最初は合成も、ショップも、ガチャも、属性も説明なしで、
デフォルトモンスター設定のみでアーケードゲームなみに
ゲームの面白いところだけを体験させる。

ゲーセンのアーケードゲームは回転率が重要視されるし、
ゲーム画面で一見さんを捕まえなくてはいけないので、
ひとめみて面白くない理解できないゲームは売れない。
システムも文字説明も最小限にしなくてはいけない。
当然筐体をひとりじめするような、めんどくさい合成システム等はない。
オープニングもデモも最初から全部カットできるようになってるし
演出の1分1秒を削りながらも楽しめて、
初見プレイヤーを満足させる作りになる。

とすると
フリーミアムのアプリもLv5までは
合成、ショップ、ガチャ、属性を解禁せず、
Lv10ぐらいまでは何もカスタマイズせず
買わなくても気持よく勝てるようにして、
負けたらはじめてどうすれば勝てるか?
というチュートリアルやヒントが出てきて、
そこからひとつづ開放したらいいのではないか?
このときショップの開放は最後でいいと思う。


こうすれば、ブログ主のように
「まだ個人的な興味はないけど流行ってるから」で
ダウンロードしてくれた客にも、
アーケードゲーム的な楽しさの動機付けまでは
プレイしてもらえるのではないだろうか?


いやむしろなんでそうなっていないか?

なぜ、ソシャゲアプリのチュートリアルは説明過多なのか?


もちろんソシャゲアプリチュートリアルでも
システムの段階的開放をしているものもあるが、
ブログ主や僕が感じたように、
まだ楽しいと感じるほど遊びきってないし、
自分の限界を感じない作業レベルの1-1や1-4で、
いきなり合成だの、 課金魔法石だのの使い方をいっきに説明される。


要は「早く課金して欲しい」から、
そのために「合成」やら「属性」やら全部を最初に説明する必要がある。

実際にスタートダッシュから大人課金して
「オレ強え 」を味わう人こそ、一番大事にしたい客だろう。
つまり「1分1秒でも早い収益化」と「課金額を最大化」 したいという
メーカーの気持ちが、いきなり情報過多なチュートリアルを
作り出しているのではないか?

あるいは、
「すでにゲームルールに慣れてそれが当たり前になってしまった
開発者やテスター視点」でチュートリアルが作られている場合も
作ってる側には読まなくてもいいほど当たり前の事なので、
いきなり情報過多になることがある。
これは調整にあまりコストかけれないようなコンシューマゲームでもよくある。

「モバマス」や「艦これ」など元から動機付けの強いゲームであれば
それでも構わないかもしれないし、モンハンの前作のユーザーであれば
新システム分のチュートリアルだけでも構わないだろう。

でも本来のユーザー体験からいえば
チュートリアルの最高のタイミングは「必要なときに」「必要な情報」である。


 プレイヤーは必要になってからでないとチュートリアルを覚えない


プレイヤーがゲームオーバーするなり、
プレイが厳しくなってから情報解禁するほうがずっとルールを学習しやすい。
学校の数学や英語じゃないけど、
人は必要になってからじゃないと、物事を覚えないからだ。

いま多くのソシャゲアプリが、
「まだ必要でない初回プレイに」「合成、ガチャ、属性、課金情報」
ひと通り提供してるので、チュートリアルの必然性も印象も弱く、
なぜこれをやらなければいけないのかが
似たゲームで慣れてない人には、
ただアプリランキングにあったから
ダウンロードしてみた程度の人にはわかりづらくなる。
将来これがなぜ必要かがわからないうちに
「数学」 や「英語」を教えてるみたいに。


どうせモバマスで大人課金する人はLv5なんてすぐ達成するので、
そんなプロプレイヤーに合わせて
1-1にチュートリアルの洪水を作ることはなく、
プレイヤーの限界に達して、合成が必要なときに
合成チュートリアルが出てくる設計の方が良い体験となるのではないか?
場合によってガチャはもっとずっと後でもいいのではないか?

元のブログ主が言いたかったことも、
そういうことではないかと推測する。


以上なんだけど、この結論にはひとつ疑問が残る。



しかしモバグリ時代からチュートリアル離脱を徹底研究してるソシャゲメーカーがそんな見落としするだろうか?


ソシャゲの市場規模からすると
各メーカーはこのチュートリアル離脱をものすごく研究していて、
KPIとか、課金に関するタイミングも
今はとんでもなく磨かれているはずだ。
なにせ動く金額が金額だけに、それこそ給料日から心理学まで含めた
徹底した調整がされているはずである。

なのに、心理学以前の
「必要なときに」「必要な情報」はあまり守られていない。
ここがとても腑に落ちない。
コンシューマのゲーム屋だと
「プレイヤーがミスした時に、何が悪かったか、どうしたらよかったのか?」
の情報がゲーム内で説明臭くなく自然に提供されるのは
名作の必要条件ですらあったりするのに。
(謎解きゲーは別として)


とすると、わりと長期でそういう実験を何度かやったけど、
「情報洪水でも最初に全部説明しないとユーザーのクレームが多かった」か
「Lv5まで課金開放を待つと大人課金する人が激減した」とか
「そんなことしても最初から興味あるユーザーしか、
その情報洪水をものともしないユーザーしか結局残らなかった」
とかだろうか?
でもこれは自分で書いててあまり説得力はないかな。


予想としてはチュートリアルや機能説明は、
なるべく必要なときに表示するよう分散しているが、
課金だけは会社としてゲーム開発の最大の目的ゆえに
一番最初から使えなければいけないものと
「勝手に思い込んでた」ので、
必然的に合成や属性の説明も最初に集中してしまったと思うけどどうでしょう?

ユーザーを取り込むという土台を広げるためには、
別に課金最大化のために
一番最初から課金が使える必要はないと思われます。

とはいえ僕はソシャゲ作ったことがあるわけじゃないので
もっと単純な事を見落としてるかもしれません。
もし、ソシャゲ開発者でここを見てる人がいたら
最初に全てを説明しないといけないもっともな理由があれば
ぜひ匿名のコメントでお願いしたいところです。

2014年11月9日日曜日

なぜ「無理しなくていいんだよ」「幸せになってください」「頑張ってね」など善意の言葉が人を傷つけるのか?



かつて被害に遭った身として、ブコメ読んで腹が立った。 http://b.hatena.ne.jp/ent..

被害に遭った後もケロッとしていたら、周囲の人に「傷ついていないふりをしているのね。無理しなくていいんだよ」と言われた。こちらは普通に生活しているのに、「普通の生活を送ることによって強がるほど増田は壊れてしまった」と、カウンセリングをすすめられた。付き合っていた彼氏は、友達に「レイプされても普通にしているなんて増田は明らかに重症だ。いつ自殺してもおかしくないのでそばにいてあげて」と言われ、「ハァ?」と思ったらしい。

彼ら彼女らは、私がふさぎ込んで社会生活を送れなくなることを望んでいたのだろうか。手首でも切ってやれば満足だったのだろうか。

「レイプ被害者は傷ついていないとおかしい」という「常識」がはびこっていると、「善人」が被害者に迷惑をかけまくっている。何度も何度も「善人」に「傷ついていないふりをしている」と言われれば、「自分の心の底では確かにそうなのかもしれない」と思い込んで本当におかしくなってしまう人だっているかもしれない。

レイプは心の殺人?死なねえよ。勝手に死んだことにするんじゃねえよ。死んでも死んでやらねえよ。

 
増田に賛成なのだが、
どうもレスやはてブ見るとこういう時に
どうしたらいいのかわからない人をみかける。

僕の意見としては、いちいち触れること無く「日常」のまま接する。

ただ、周りに周知され
外から見てはっきり落ち込んでるようであれば、
落ち込んでることに共感して欲しいのであれば
「落ち着くまで仕事を休む」
「軽い仕事にする」
「いつもの仕事をする」
の一番気が楽な選択肢でいいよ、ぐらいの提案はする。

その上でやはり「日常」のまま接するし、
いつもの仕事に段階を追って近づける。
哀れみや同情はいたずらに傷つけると思うからだ。


善意の言葉は諸刃の剣で


「無理しなくていいんだよ」
「幸せになってください」
「頑張ってね」

善意で言われたこの言葉は、前提条件の枕言葉が隠れている。

「アナタは無理してるけど、無理しなくていいんだよ。」
「アナタは幸せではないから、幸せになってください。」
「アナタは頑張らないとダメ、だから頑張ってね。」

と、善意で究極のダメ出しをしている。
善意で言ってくれる人達にはこの枕詞が無意識にあって、
後半の部分だけしか意識して発言してない。
だから言われた方は傷つく。
たくさんの善意の同情が、
「アナタは不幸だ。不幸でないといけない。」
というメッセージとなって複数の人が
毎日何度も何度も送ってくるからだ。


自分で現在進行形に言うのは構わない。


「楽ちんだ。」
「十分幸せだ。」
「いっちょ頑張るか。」

こういう自分の受け止め方を
あなたは不幸だ、あなたは辛い、あなたにはできない、
と他人に決められるのがまずい。


それでも善意の人はわからない。


「えっ? 不幸な前提条件は動かせない事実でしょ?
私が不幸にしたわけじゃないんだよ?
だからちゃんと励ましてるんだけど?
私の励ましを待ってる人やありがとうと言う人もいるんだけど?」

 それを待ってる人が確かにいるという話は後で書く。

以下、そうやって善意の言葉を投げかける人を便宜的に幸せ教と呼ぶ。
(注: 実在の団体、宗教とは一切関係ありません。)

僕らはみんな「幸(善)、不幸(悪)」を教えられて育つので
みんな幸せ教の教えを知ってる。
この記事はそんな幸せ教から解脱するための記事だ。


不幸になりたくなければ、幸せを追い求めるのをやめよう


幸せ教の教えは単純に言うと、
世の中には「幸(善)」 と「不幸(悪)」があるので、
不幸を無くすため善い行いをしましょうということ。

僕の主張は坊主や禅のような話になるけど、
「幸せ(善)」に執着するから「不幸(悪)」が生まれるわけで
なので一度この「幸、不幸」という考え方をやめよう。
そういう視点をひとつはもとうということ。


そこにあるのは「事実」と「受け止め方」のみであって、
「不幸な受け止め方」をわざわざ外から押し付けてはいけないということだ。
それが無意識の押し付けでも。


イヴは不幸だと思うだろうか?


極端な例で説明すると、人類が過去にイヴ1人しかいなくて、
そのイヴが宇宙人にレイプされて、次の日は嵐に巻き込まれて、
その次の日は腕を骨折するような大怪我をしたら
彼女は自分を不幸だと思うだろうか?

僕から見たらそれは不幸に見えるかもしれないが、
それは僕とイヴの比較によるものだ。
もしこれが現代人で無人島に流れ着いた女性に起こったことなら、
その女性は涙も流すし、早く家へ帰りたいと
自分の不幸を嘆くかもしれない。

しかしイヴにとっては
ただそれらは抗い乗り越えるだけの当然の障害でしかなく、
不幸だと涙するための比較対象がない。
比較する女性も、思い返す文明も社会も過去にないのだから。


そんなイヴを現代に連れてきたとしよう。
幸せ教の大多数は一斉に彼女をかばうだろう。
「君はとんでもなく不幸なんだ」と。
その不遇をみんな善意で必至に理解させようとするだろう。
いつしか、彼女は他者と比較することを"知ってしまう。"
「他者と比較したら」自分がどれだけ不幸なのかを。
そこで初めてイヴは善意の人と「共感」し泣き崩れ、
それを受け入れて「不幸」が発生する。


つまり、イヴ1人だけだったら「不幸」は発生しない。
イヴが確固たる自立心を持ってても「不幸」は発生しない。
善意の人がイヴを憐れみ、同情して、「不幸な女性」と扱い続け
イヴが他者の同情を受け入れた時に「不幸」が発生する。


事実は一つ、受け止め方はさまざま


だが、幸せ教の人はそれは詭弁だと考える。
そんなふうに目を背けても、やはり事実は1つの「不幸」でしかない。
事実も「不幸」もくつがえることはない。
それでも我々は「幸せ」にならなければいけない、と。


確かにそれは事実の受け止め方の1つだ。
だが1つでしかなく唯一ではない。
ここで僕が問題とするのは、
「事実の受け止め方による精神的ダメージ」である。
しかも何度も何度も他人から受けるダメージだ。

自己が確立できてない人であれば、
さらに自分自身で己の不幸を一生裁き続け、
自分自身へダメージを与え続ける事も「よく」ある。
幸せ教の教えだと、幸せになれない奴は
この精神的ダメージを罪として一生受け続ける可能性があるのだ。


「幸せ」とはなにか?


善意の幸せ教はそれでもイヴを救おうとする。
彼らは永遠に幸せを追い求める教団だからだ。
当たり前だが前提としてまず「不幸」でなくてはならない。
「幸せ」とは何か?といえば、
誰も一般化した定義はできないが、しかし
「不幸」との比較でのみ「幸せ」を定義し実感することができる。
イヴの「不幸」が大きいほど、幸せ教の活躍しがいがある。


幸せ教にある救い


幸せ教にはちゃんと理にかなった救いがあって、
まず、「涙をながすほど追い込む」
という行動があげられる。

涙は感情のリセット装置となるので、
流し尽くしたら開き直りやすくなる。
全員で「おまえは不幸だ!」と追い詰めたらそこまで持って行きやすい。

みんなで共感して大量の涙を流せば、
不幸も洗い流されそこから前向きになれる。
そうすれば青春ドラマのような幸せへ歩き出せる可能性がある。
これが幸せ教が意識的に望む結末であり、
涙は流さなくてもうまくいくことだってある。

この方法は幸せ教への良い意味での洗脳でもあり、
ここまで追い詰められてみんなの前で涙を流せたら万事OK。
幸せ教の信徒としての自己も確立できるようになる。


幸せ教の土台


だがこの追い込みがまずいと、
善意で追い込んだ「お前は不幸だ!!」という
無意識のダメージから立ち直れないままとなる。
被害者は自分をいたわってくれる善意の信徒を
攻撃するわけがないので、代わりに自分の不幸を呪い、
ヘタすれば自分を傷つけたり、それ以上に、、、とてもまずい。


幸せ教が素晴らしく完成されてるのはこの点だ。
うまくいく幸せな場合と、うまくいかない不幸な場合が共存していて
意識せずに不幸の比較で幸せを強化している。
全ての幸せを望みながら、そのために善意の言葉を施しながら
全てが幸せにはならないのだ。
不幸な奴がいるから幸せが得られる。
幸せ教の人は意識の上では全くそんなこと望んではいないが
結果そうなる。

自分の幸せを実感したければ


幸せ教の信徒達は意識では他者を幸せにしようとして、
無意識では逆になる。
本質的には自分が幸せになりたいのだ。
だからこの発言をするとき、一片の矛盾も感じていない。

「(アナタは無理してるけど、)無理しなくていいんだよ。」
「(アナタは幸せではないから、)幸せになってください。」
「(アナタは頑張らないとダメ、だから)頑張ってね。」

意識では善意で心優しい信徒ではあるのだが、
無意識では他人の不幸を願い、
不幸を比較して自分の幸福度を高めてる。
その善意が相手の羽をむしってるのに気づかない。

いや、実はその構図に気付いてる人も多いが、
自身の絶対的な善意は否定しようがないので、
偽善と指摘されても堂々とやる意義があるのだ。


幸せ教と共依存


まるで、幸せ教を自己欺瞞の悪い宗教のように語っているが、
そういうわけでもない。
自己確立ができない同士の人で相手の羽をむしっても、
「私がいないとあなたはダメね」
「君がいないと僕は何も出来ない」
という共依存の関係にまでもっていけたら
とても社会秩序が構成しやすくなる。

母と子や、上司と部下など、人間社会は大なり小なり
さまざまな依存関係にあるから、
無意識に自立させまいという力学が働く。

別にその関係でしか自己を確立できないというのはよくあることだ。
全ての人間が独立し、自立する必要もない。
人がお互いに依存しあうには悪くない仕組みとなる。


励ましも、同情も、憐れみも、幸せ教では許される


幸せ教の善意の言葉を待ってる人というのは、そういう
自立しづらい人間関係であって、そこに大きな需要がある。

増田みたいに事実の受け止め方を自己コントロールできる
ようなことを言うとこう反発されるだろう。

「人の目も気にしない強者の理論はどうでもいいが、
人にどう見られるか気にする弱者は優しく守らねばならない!!
現に私の優しい言葉を必要としてくれる人達が現実にいる!!」

といって幸せ教が反発するのは、善意を信じているし、
善意が良い結果を出すと信じているし、
強者の理論は弱者を傷つけると考えてるし、
障害者を健常者と同じように扱ったら傷つくと考えるから。
無意識では供給者としての存在意義に関わるからでもある。

ただ、自分がいなくても独り立ちできるとは信じていない。
だから共依存なのである。
意識では自立を助ける側であり、
無意識では自立の足を引っ張る側になる。

幸せ教は声が大きい善であり正義なので、
表立った反論はしづらいが、
僕の主張は、幸せ教を必要としてる人が確実にいるならそれはあってもいい。
しかし、幸せ教でない人が何かの被害者に対して
どう接していいかわからないとすれば
「善悪や強者、弱者、幸、不幸の視点から離れて、日常として前に進もう」だ。
自分だっていつか弱く衰えて死ぬのだから、
助けを必要としてれば出来る範囲で助ける。
できなくても同情はしない。
でいいと思う。



補助線


それでも、ひどいことがあったのに
あっけらかんと「日常」を演じて接することなんかできない。
という善意の人には、こういう「補助線」的な考え方もある。


ここで日常の自分と、不幸な相手だけを比べると確かに戸惑ってしまうので。
今ウクライナがどろどろに割れてたり、
インドでよりひどい女性人権侵害があったり、
エボラウイルスで運悪く死んでしまった患者や、医療スタッフとか
現時点で進行してる世界レベル不幸の補助線のどの位置にあるかと考えると、
極端に離れてた不幸が相対的にだいぶ小さく見える。

不幸の比較だと自分が幸せの上から目線で引け目を感じるなら、
自分よりもっと幸せだと思う人達の補助線を引けばいい。
ただの事実であって、憎んだり嫉妬する必要はない。
さらに、その犯人の生い立ちをいろんなキャラクターで補ったり、
それこそ被害者の自分の知らないキャラクターや価値観を想像したり、
レイプ犯が被害者に諭されたり、
銀行強盗が人質と結婚する可能性だってミクロの可能性がなくもないし、
これから被害者が幸せになる補助線もあって、
世界の地方の性に対するおかしな文化や風習の補助線や、
時空、妄想レベルでのいろんな補助線を
それぞれの要素を善悪抜きで掛け算したら、
物語は何十パターンにもなり、
自分がその可能性を無視して全てを見て体験したかのように
勝手に相手の幸、不幸を決めつけるのはおこがましいと思えるがどうだろう?

相手がそれを態度で表明してから裏の心情なぞ勝手に推察せず、
そのまま受け取る方がお互い良いと思う。


ちなみに明石家さんまは、こういってます。


ほぼ日「さんまシステム」の魚拓まとめ - teppeis blog


さんま

もう、なんていうんでしょう。
辞書から消したほうがいいようなことばが
たくさんありますよね。
「苦労」なんて消したほうがいいし、
「努力」っていうのも消したいし、
「幸せ」も消したほうがいいですよ。



リンクの記事だとわかりにくいですが、他の番組での発言からすると
どれも当たり前のことで例え状況がどうあろうと
「今を実感して行動するだけ」しかない
とのこと。


この さんまシステム という糸井重里との対談も
面白いしためになるのでオススメ。



関連:
「生きてるだけで丸儲け」の意味 - 旧・teruyastarはかく語りき

2014年11月1日土曜日

新卒プログラマに当事者意識を持たせるには?

うちの新卒プログラマが才能無いっぽいんだが、判断してくれないか? : IT速報

「とりあえず動く」の認識だから、
大規模開発やら仕事ではどうしてそれがまずいかまでの経験がない。

プログラムと文章構成力は相関関係あるので、
わかりやすい日報を書く、添削するというのはあり。

ネットに点在してる炎上案件の記事を1日1回読んで調べると、
「人の振り見て我が振り直せ」 という意識が身につく。

リーダブルコードやハッカーと画家など、
スーパープログラマー達が何をやってるのかを1日1章読み
その業界の上限と下限を認識する。

一番当事者意識を持つようになるのは
「プログラムを教える側にまわること」 だから
上記の件で勉強になるのは新卒よりもむしろ>>1 。

なら新卒を2人雇って彼らだけで責任をもって小さな社内案件を任せ、
お互いに学び教えあうというのを繰り返すのがいいと思う。
その際、厳密な条件を追加しながら、
同じ案件を0から組み直し繰り返すのがベター。

例えば「テトリス」を1から作りなおすたびに、
省メモリで高速で手触りをよく機能追加するほど、
土台の基礎レベルが上がっていく。
10回も作りなおし究極のテトリスが出来た頃に
次のステップへ進むなど。


こういう関数の組み合わせで値を更新していく設計かなと思う。

「男女平等」なんて言わなくても女性はそのうち全ての権利を獲得する。

マツコ・デラックス 日本における「男女平等」の盲点に苦言 - ライブドアニュース

 さらにマツコは「これまでは男の人の基準に女の人を合わせることが平等だった」「『男がしてることもしていいよ女も』っていう男女平等だった」と男女平等の仕組みを説明してみせた。

そんなマツコが考える男女平等は「女の人が男になろうって無理をせずに、男と同じ権利が与えられる世の中にならないと、ほんとの平等じゃない」と力説した。


番組見てないのでこの前後をしらないせいかもしれないが、
権利だけでそれにともなう義務の話がないからわからなくなる。
男性社会がやってた義務なんてやらないけど権利だけくれという話ではないだろうし。
「給料」に置き換えても同じ。


 でもこれを逆にしたらマツコが味わった苦労が忍ばれる。

「男の人が女になろうって無理をせずに、女と同じ権利が与えられる世の中にならないと、ほんとの平等じゃない」


 オカマにも人権を。デブにも人権を。 美醜や好き嫌いで人を決めてはいけない。こうすると疑うのは自分の偏見とか常識なんだろうが、偏見ってただの好き嫌いなので、まあ好き嫌いレベルになると僕も自分の盲点なんて見えない。

もし、デブでハゲでチビで顔が荒れてブサイクで収入もない四十路だが、家事は完璧にこなせるという男性を主夫として迎えて喜んで結婚しますとまで言えたら、ほんとにイケメン高収入と差別しない平等な人なんだろうけど、そんな平等必要だろうか?

男女平等についてマツコは「男の世界に合わせられる女の人じゃないと平等には結局ならないもんね。女の感性のままで勝負しようと思ったら、相当無理だよ」と苦言を呈した。

むしろ女性の感性が少ない社会だからこそ勝負できるとか、それこそ育児を経験したからこその視点やアイディアだとかのニュースや記事こそよく聞くのだが、女性の感性では勝負にならないなんて、煽り過ぎじゃないか?

 女性政治家が増えていることについては「スカート履いてるだけで、中身は男じゃん」と一刀両断した。

いや、中身男で知的な女性とか好きですよ。むしろ女性の権利を勝ち取っていくのにその狙いは悪くない。


男性社会の大会社で昇進が難しいとしたら、できる女性が起業したらいいし女性起業家は実際に増えてる。

そして国民の最大の権利は投票権だが、これは全成人女性に与えられていて、女性議員に有利だ。趣旨とは反するけど、少し綺麗な女性議員が選挙に出たら男性の浮動票は間違いなくそちらに多く入るし実際に勝率は高い。女性は女性権利を増やすために女性議員に投票したらいいし、男性と互角の組織基盤を持ってたらその分確実に勝てる。どこぞの国の首相や大統領は女性だし、YahooのCEOも最近女性になったし、ほっといても女性の権利は増えていく。

どちらかというと問題は「前に出よう」という女性が少ないことだ。手を挙げる出馬数が圧倒的に少ない。女性が前に出た時、男は敵にならない。男は世間の前で女性を攻撃できないし、攻撃すればよけい同情票が集まって奮起したり、その男に巻き込まれないよう男同士からも距離を置かれる。この時の敵はむしろ同じ女性。横並びで大人しくしてるところから抜け出す女性を攻撃するのは同じ女性だ。さっき綺麗な女性議員に男性の浮動票が入るといったが、女性の浮動票が入るかどうかはちょっと怪しい。

なので日本の女性が欧米で好まれるような「男らしくて知的で前に出る女性」を狙うのはそれこそ欧米が女性の権利を日本より勝ち取ってるように戦略として悪くない。ほんとは全部知ってるうえで、女子会の中ではずいぶん男らしいのに「あえて何も知らないふりをするカワイイ女性」路線で行く限りは、前に出る女性を同じ女性が攻撃するので女性が起業するのも、女性が政治を動かすのも難しくなってしまう。


ただ、日本で女性の権利が強く叫ばれるようになったのは、それ以前の社会インフラがきちんと整ったうえで、核家族化が進み、シングルマザーも増え、親や親類に頼らずともどうにか最低限の生活ができてしまうからこそだと思う。例えば表面的な権利は男にくれてやって、男に稼がせて、家事はオートメーション化や親とか親戚も頼りまくり、内助の功というかその知恵で悠々自適に旦那をコントロールするのも幸せなんだろうけど、それができない格差と核家族化が問題だ。

男性と同じ権利が貰えたら、女性の地位が向上したら女性は幸せになるだろうか? 戦前戦後に比べたらずいぶん女性の権利を獲得したがそれだけ幸せになっただろうか? ヒトラーは女性が社会進出すると国が衰退するといったが、それは女性が仕事に夢中になるほど晩婚化が進み出生率が減り人口減に転じ、全ての社会保障が成り立たなくなるほどの重い税がかかる悪循環の可能性を指したものかもしれない。

権利には望まない義務もついてくる。平等と言われる時は「権利」だけ欲しくて「義務」を語らないことが多い。でもこの話は資本主義が進み格差が厳しい人達をどうするか、彼女らの義務は免除すべきではないかということにまでつながるだろう。

男性と同じようにキャリアも積みたいし、子供もたくさん産みたいし、産休はきちんと休みたいというならそれは多いに賛成で、そのための権利や格差を具体的に解消しよう、それを補う施設や結婚してなくてもシングルマザーでも協力してサポートしようと前に出てくる女性がいたら投票しようかと思う。

まあそこまで女性が権利獲得できたら「種」だけ保存して好きに遺伝子改良すればいいので「旦那」や「男」はもう人類に要らない気がする。きっと擬似的に雌雄同体となるまで女性の社会進出は進み「男」は「ヒモ」以外必要なくなるだろう。

男が稼ぐのに有利だったのは人間レベルの体力や縦社会が必要だったここ数千年のみ。木の実を見つけるのはいつだって女性だし、社会はソーシャル的なつながりができ、機械化で土方を女性がこなせるようになった今では体力的な有利も小さくなって男性の方が自殺者が多いぐらい。実際に狩りも巣作りも子育ても社会活動を女性だけでこなして男は「生殖」としか機能しないところまで生態が変化した動物や昆虫は結構ある。

今の世の中はマツコ的な人がカミングアウトしやすくなったのではなく、男性の女性化が進行してるのかもしれない。そのうち「男」はジェノサイドされるまでもなく生まれなくなってくる。そこでやっと女性はすべての権利と義務を獲得しこの問題は解決するはずだ。


将来は女性だけになるかもって知ってた?「男性のY遺伝子が1,000個→78個に減少」 | ニコニコニュース

2014年10月30日木曜日

好きを仕事にするとはどういうことか? 好きを仕事にする時の目標設定について


好きを仕事にしてはいけない理由


1,
低賃金労働になるほど競争が激しく給料が低い。

2,
社長と考えが合わない。大衆にも迎合したくない。妥協もしたくない。なんだかんだで自分の作りたいものが作れないのが腹立たしい。

3,
趣味でやる分には面白いところだけやればよかったけど、仕事の場合は製品の安全とか、情報セキュリティとか、表現の規制とか、クレーム対応とか、ハードでつまらない練習とか、ケガの予防とか、面白いところよりも面倒くさい作業の方がずっと多い。


結果、1万分の1の夢が叶ってもこんな感じ。


漫画家やめたい



将来はどんな職業に「なりたい」ではなく「なる!」


「なる!」と言うには、

「どういうふうに開拓して」
「いつまでに」
「どれぐらいの報酬」を
「目指している最中」

という数字目標と、現在進行形の宣言が必要。 
この意識の違いで目の前にある大小様々なチャンスが見えてくる。
 「なりたい」では、目の前にあってもそれがチャンスに見えなくなる。
なので成功要因が全て周りの環境と「運」に振り回されるのみ。


 リンク先の増田は、環境という「運」や出版社だけを恨んでるので何も見えなくなってる。この嘆いてる時間で、ネットで読むために最適化された漫画、スマホ縦読みのための技術やコマ割、アジア圏でしかもたいした商売にならなかった海外向けの翻訳漫画が、紙で読むという高コストを受け入れなかった欧米市場が、スマホで読む海外巨大市場に変わる。むしろこれからが本当の黄金期だと考えてる人が、ほんとにそういう形になるかどうかにかかわらず、次世代のヒットを生む。どうせネット違法アップに市場が駆逐されると増田のように環境ばかり嘆く奴は、全ての環境がピンチにしか見えず同じ時間を使って悪くなることばかり考え、何を描いても小銭しか貰えない視野の悪循環におちいる。



「なりたい」ではなく「なる!」で「数値目標」をつけた「宣言」の例。



本田圭佑、イチロー、石川遼の卒業文集がヤバすぎると話題に! - NAVER まとめ

 著名人のアファメーション

孫正義・25文字の成功哲学「孫の二乗の法則」とは | PHPビジネスオンライン 衆知|PHP研究所

 尾田栄一郎がワンピースを描くこだわりやモットーとは? | 漫画史上最大のヒット作のワンピースを研究するサイト

ソフトバンクの孫正義は、「人生50年計画」で現在も倍々ゲームが進行中。
尾田栄一郎は、中学から「ジャンプで海賊漫画を描く」計画をねって、連載開始前に主要キャラクターを完成させてる。


人は自分の数値目標に引きずられる。


孫正義は、昔Yahoo!への投資がヒットした3日だけ世界一のお金持ちになった。
しかし、計画ではまだその段階でなかったため、それを受け取る準備がなく元の計画まで戻ってしまう。今の孫正義であれば、Yahoo!が爆上げする可能性を事前に考えてすぐに次の検索サービスへ手を打ったはずだ。そこはもっと欲張って「人生30年計画」でも良かった。

けど小学生や10代で計画準備しないと成功しないというわけでもない。

「何かをするには自分はあまりに遅すぎた。」と気づいてからが本当のスタート - 旧・teruyastarはかく語りき


だが計画を立てたら全ての夢が叶うわけではない。
有限の「世界一の選手 」などはこの目標設定の大きさで決まる。
でも人間のルールにしばられたスポーツと違って、ビジネスはかなりなんでもありではある。


 ゲーム業界の場合

「○○"みたいな"ソフトを作ろう。」と「○○を"超える"ソフトを作ろう。」


「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」は世界一売れた「スーパーマリオブラザーズ」を超えるアクションゲームプロジェクトとして起ち上がり、売上では及ばぬものの、アメリカでのキャラクター認知度はマリオやミッキーマウスをも超えるNo.1 を獲得。ソニックが牽引役となって北米版のメガドライブは最後までスーパーファミコンとほぼ互角の戦いを繰り広げた。

 同じく、「ポケットモンスター」も「スーパーマリオを超えるソフト」として起ち上がる。ゲームボーイ市場が閉じる直前の長期に渡る開発から、それを見事に実現。売上本数でスーパーマリオを追い抜く。ただし、ゲームボーイなので定価3800円という1000円安い価格で、「赤」「緑」というこれまでにない変則商法という条件付き。

 逆に、「ファイナルファンタジーみたいなRPGを作ろう」「ポケモンみたいなソフトを作ろう。」「スト2やバーチャファイターみたいな格ゲーを作ろう」というシリーズは続かなかった。生き残ったは少しでも「超える」という精神をもったソフトのみ。


 「超える」というのは、FF5が出た時に、次のFF6を目指すのではなく、FF5のときに2世代超えてFF7を目指す。FF6を目標にしたら同時に本家が出すのだから勝てない。


 「弱小で実力もない自分達がFF7なんて到底無理」ではなく、資本がなくても、たった一人でもFF7を作る! という気概が「運」を呼ぶ。


どんなにグラフィックがしょぼくても、シナリオが次世代FFにふさわしいゲームとなったり、むしろグラフィックのセンスが次世代に到達して、ボリュームその他がしょぼいゲームとなったとしても、それを達成していくごとに、より次世代FFに近いチームに呼ばれたり、似たようなことを考える仲間が集まってくる。孫正義が2人しかいない社員の前でミカン箱の上に立って無鉄砲な計画をぶちあげたように。


このカオスな世の中、本人の実力だけではどうにもならない。 最後は環境の変化や思ってもない「運」が必要。しかし、それは自分の実力を上げて一段高いステージに立たないと見えてこない。次の運も、やりきって自分の力でもう一段高いところに立たないと見えてこない。そこではピンチに見えるような時場所でも、ずっと計画をねってたアンテナがチャンスと反応することがある。

 逆に考えると、

自分の実力だけでは到底どうにでもならないことこそが本当に達成できる目標設定


今の底辺の実力からしか見えない目標は現実的すぎて大欲がなさすぎで、その実力すらまず達成できない。そんな目標設定では前に進まない。ステージが上がれば見える風景と「運」で倍々に増えていくことが最初の実力ではわからない。新聞紙を42回折れば月に届く。アンテナを張り巡らせて42回「運」を見つけたらいい。やるだけやったら天に任せるぐらいでひとつづつ「運」がみつかる。


 目標計画は、本来の望む目標のもうひとつ向こう側を設定する必要がある。100M走で100Mを目標にするとゴール手前で無意識に減速してしまい記録を超えることが出来ない。なので100M走のゴールは120Mや150Mになる。空手で相手を倒すときは相手の胸を打つのではなく、正面から相手の背中を打ちぬくつもりで拳を突かなければ倒せない。見えてるものを目標にするから最後の無意識というほんの僅かな差で負ける。だから自分の実力だけで測る矮小な目標というものは常に達成されない。本来の目標は「通過点」におく必要がある。


 予想通りの「運」はやってこない


 例えば先程の「デジタル化における高コストな紙では読まなかった欧米コミック市場」などと「予想できる事」はそのままの姿ではやってこない。それはもうコミックではないかもしれない。「運」は予想できない斜め上にあるからこそ「運」である。ソニックや、ポケモンがマリオを斜め上の超え方したように、あくまで「運」は天に任せ自分の実力で捕まえるのみ。予想通りの「運」や「時機」を待つのは「なりたい」と同じ発想である。自分から捕まえにいかないとそれはやってこない。


 好きを仕事にするということ


自分のやれることはやる。1人で加速し続けて全部やるぐらいの気持は常に持つ。しかし目標設定は自分1人じゃ、自分達だけではどうしようもないところに設定する。この相反する矛盾を脳内に持つと、矛盾なんて分からない脳がそれを無理やりどうにか解決しようという、強力な脳内アンテナが張られる。その矛盾アンテナから予想しなかった斜め上の「運」やアイディアや出会いや習慣からの脱却が見えるようになる。


他人が聞いたらバカバカしく、自分ではワクワクする目標設定を


明日100億欲しいとかどう自分で考えてもふざけてワクワクしない目標は無理。(まあ、1000億をどういう偉大なことに使うから自分に欲しいという簡単なプレゼンをGoogleで翻訳して200カ国向けにTwitterでつぶやきまくって、キックスターターにでも繋げたら、バカに付き合う気まぐれな金持ちがコミットして、そのうち900億を事業に使って100億を私用で使うとかが、ミクロ単位ぐらいの確率であるだろうか?)

自分一人でもやりつづける。 しかし1人だと200年かかるかもしれない。そんな矛盾状態でもワクワクできるならいろんな「運」を見逃さず実現できるサイン。

 慣れないうちは、小さく短期間な矛盾からでいい。いつもの3倍の早さで明日や来週までにこれこれを終わらせる。夏休みの宿題を第一週のみで片付ける。そのために家族や友人や恋人まで含めて協力、調整してくれないか。開いた時間は君たちのために使うからなど。自分の習慣から一歩抜け出せ、好きな仕事の実現方法が少し実感できるようになる。

2014年10月28日火曜日

日本は言うほど自己責任のプレッシャーが強いのだろうか?

日本の貧困層を救ってくれるのはイスラームしかないって確信した。 - 拝徳

この「自己責任」というのは、現代日本の病巣の一種だと思う。
前のブログにも書いたことがあったけれど、日本はこの自己責任論で片付ける人の割合が世界の中でも異常に高い国だったりする。
例 えば「What the World Thinks in 2007」The Pew Global Attitudes Project という世界各国で行われたアンケートの中で、「自力で生活できない人を助けてあげる必要はない」という回答項目について「助けてあげる必 要はない」と答えた人の割合は日本が38%で、世界中でブッチギリ断トツだ。自己責任が問われるイメージが強いアメリカですら28%で その他のイギリス でもフランスでもドイツでも、中国でもインドでもブラジルでも同様で、どこも8%~10%くらいである。
つまるところ10人のうち約4人は、「はぁ?貧困?つか言うて自己責任だろ。俺だって苦しいんだから。苦労するのは当たり前。いちいち俺らにたかるなよ。生活できないならできないで周りに迷惑かけないうちにさっさと死んで解決しろよ(笑)。」

と暗に思っている国がこの国なのだ。


 そうかな?

 いや、ネットを見る限りは学のある人や、意識の高い人や、暇を持て余して若く健康で貧乏なニートが自己責任を言い合ってるのはわかるが、言論好きなネットの人達だけで言い争って自己責任圧力が高いのは、その人達の間だけなんだから別にいいじゃない。

 たまに本当に病んでる人が紛れ込んでフルボッコにされるわけだが。一部のそれを見て日本がダメだというのもどうかと。生活保護もあるし、各種支援団体もたくさんあって、金がなくても医者は断れない法律だし、ほんとに病にかかって立ち上がれない人を助けない国ではないし、どれだけ体育会系で意識が高くても病人にムチは打たない。

 で、それでも上記データから日本が自己責任論のトップだということなんだけど、こうなる理由が2つ思い浮かぶ。


1,日本は安全で生活しやすい国


 「自力で生活できない人を助けてあげる必要はない」

これは国によって意味合いが異なる。

長らく先進国を突き進んできた日本ではそう簡単に死なないし死ねない。ほとんどの人は字が読めるし、義務教育も終えて高等教育も卒業している。極端に言えば、プライドとキャリアを捨てて開き直ることができたら1からやり直すことができる。ある程度健康で精神が病んでなければ、いくらでも自活できる環境が整った国なのだ。

これが発展途上国ならみんなもっと生きるのに必至で、必ずしも親や学校が成人までお膳立てしてくれるわけではなかったりする。日本だと流れに沿ってなんの意思を示さなくても生きていけたが、発展途上国やアメリカのような多国籍社会でそんなことは言ってられない。アメリカだと空気を読む日本と違って小学校からディベートがあったり、論理で相手を説得する技術はずっと重要視される。面の皮が厚くなけりゃ生きていけない。

逆に福祉が日本よりもっと充実してるカナダやヨーロッパのいくつかの国だと、自力で生活できない人を助けて上げる必要はないという文言は自国の手厚い保障の否定となりかねないのでそんなことに賛成する人は少ない。

 自己責任論の強そうなアメリカが日本よりも圧力低いというのも、元々自分の身は自分の身で守るという銃社会のアメリカで自己責任は当然なので、この質問ではそれでも生活できない人、字も読めなかったり学校に通ってなかったり、言葉が通じなかったり、つまりアメリカで自活できない人はある程度の助けは必要だが、同一民族で教育水準も高く安全な日本で助けが必要という割合が低くなるのは当然かと思う。


2, 自己責任論が強いのではなく、人の目ばかり気にしている


NHKの番組などで、性風俗に働くシングルマザーの特集などをみたけど彼女らがそこから抜け出せない理由は子供を抱えてることだった。一時的にでも子供を施設に預け、職業訓練を受け独り立ちできたところで子供を迎えにいけばいいのは頭では分かってても、子供が生きがいであり、やすらぎであり、母親のプライドであるかぎり一時的にでも手放せないということだった。例えそれが貧困の連鎖になるとしても。

それとたくさんのシングルマザーのための支援団体も在るのだが、彼女らはそれらを知らないし、知ってもアクセスしようとしない。手助けはいろいろあるのに人の目が怖い。その番組とは違うが生活保護などでも役所が怖くて生活保護の烙印を押されるのが嫌で、親族に知られたくなくて生活保護を受けれない人もいる。主体が自分になく、他人からどう見られるかが生活の中心となっている。




これは過剰に空気を読みすぎていじめられるいじめられっ子に似ている。人の目が異常に気になり自分に自信が持てない。助けはあっても自分で手を伸ばさないどころか拒否する。 これはシングルマザーなどに限らずむしろ自殺者が多い男性にも言える。自分の生き方を開き直ることができずに、辞めて逃げりゃいいものを誰にも相談できず行き詰まってしまう。面の皮が薄いどころか繊細すぎて親か友達がいなければ何も出来ず、自分の意志で何も決めてこなかった、日本の教育だと一定数そういう人達が出てくるようになるのかもしれない。

彼らを一切傷つけないようによりそってケアし続けるのは難しくコストがかかりすぎる。海外で言う助けるが支援団体そのものなのに対して、日本で言う助けるは彼らが助けを求めるまでひたすらコストを払って誘導し続けることになる。ゆえに最初の質問に乖離が見られる。


もちろん、38%と28%の割合の話であって、海外に繊細な人がいないとか言わないし、自己責任論を消し去りたい人からするとこんな視点は、本来自分達が問題にして訴えてるワープアと貧困の連鎖とは別の話かもしれない。ただ日本が自己責任論強すぎるというにはあまりに日本人は安全で繊細に育てられ人の目を気にしすぎて主体性がなく、海外の判断基準からかけ離れてる気はする。

2014年10月24日金曜日

3Dテレビは早すぎたのか?

という面白いお題をコメントでもらったのでちょっと考えてみます。


 各メーカーともハイエンド機種以外どんどん3D機能を取り払って撤退ムードです。PS3でも3D対応ゲーム推してましたが、PS4では見かけなくなりました。3DSは3D機能をOFFにしてプレイしてる人が多いし、期待の3DAVも不発。僕らは立体だから興奮するのではなくそのシチュエーションに興奮してたのでした。

 とすると明らかに早すぎたし現時点でまるで成功していません。むしろ3DTVなんて必要だったのか? これからも不要なのでは? と疑うレベルです。最終的なゴールにスターウォーズのような3Dホログラム映像にもっていくため、それを研究してる人はたくさんいるから期待するとして、今考えるのは「これから3Dテレビはどうしたら売れるのか?」、「どういう映像を用意したらいいのか?」ということになります。


裸眼3Dへの取り組み


 3DTVには欠点がいろいろあって、まず「3Dメガネをつける」という一手間が加わるのはとてもめんどくさいので、裸眼3Dに期待したのですが東芝のそれや、任天堂3DSのぶれた画面はとても手軽な視聴に耐えられませんでした。最近出たNew3DSは顔の位置で3D画面を補正して激的にブレない画面へ向上しましたし、Amazon評価でも絶賛されています。

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 ただそれでもNew3DSは解像度の問題で3Dボリュームをオフにして2D画面にした方がよりクッキリして見やすいんですよね。ほとんどのゲームが3Dじゃなくても判断に充分な情報量をもってるので、画面がぶれなくなってもゲームによって好みは別れると思います。

 でもこの顔認識と裸眼視差バリアの組み合わせそのものはメガネ使うよりもずっと手軽なので、個人で見るTVに採用されるならありでしょう。ところでNew3DSみたいな顔補正+裸眼3DTVは発売してるのでしょうか?


3D映像の弱点


 3D映像の弱点として手前の飛び出した映像でカメラをパンすると立体が画面からはみ出た時の立体認識が崩れてしまいます。そのため画面枠に設置してなく、中央に浮いてるものだけが飛び出てそれ以外は奥行きとして作るのが3D映像の基本となります。が、これを守ってない映像ソースが沢山あって余計見づらくしています。ただそんなこと律儀に守ったらこれまでのカメラワーク技術や演出が全く使えなくて面白くない映像になるからです。


3Dに適した映像作りとは?


 簡単に言うと3Dと相性がいいのは動かない固定カメラで中の役者が飛んだりはねたりすること。現在のカメラカットが多数切り替わる映像ソースは3Dの認識においてやはり邪魔です。原因はカメラカットごとにズームがやたら切り替わるので、脳の3D認識はそのTVの枠だけ切り取って奥行きがころころ変わることを一瞬で追いつけなくて疲れるからです。認識が追いつかないと2Dと印象が変わらないのに疲れます。

 このルールを守る限りにおいて、例えばカメラが動かない画面固定の3Dゲームや、舞台演劇かつ固定カメラでの3D映像などとは相性がいいと思います。TVとは違いますが、IMAXシアターでの舞台演劇ライブビューイングなどがあれば、かなりこの条件に合うのではないでしょうか。その画面自体に奥行きのあるジオラマが存在しているというイメージです。


大画面も3Dもすぐ慣れる


 本来のマスターゲットから考えると「気軽に観たい映像」と「迫力の映画やスポーツ、ゲームの映像」に分かれますが、迫力の映像を観たい層も更に突き詰めると、3Dかどうかより演出のギャップやシナリオ、試合の展開に興奮するのであって3Dで大画面だから退屈な試合が面白くなるとか、2Dだから最高の逆転劇もあまり面白く無いということにはなりません。3Dそのものはすぐ慣れてしまいます。

 3D映像にはジオラマ固定カメラが最適だとしても、そんな鳥の視点だととてもこれまでの演出ができず美味しい場面を見逃したり、より面白くなくなります。しかし3D映像には固定カメラが最適です。この矛盾をどう解決するか? 実はみんなもうこの解決を体験してると思うのです。


 3D固定ジオラマと、2Dカメラ演出の融合


 そこで固定3D画面と、通常カメラワークの2D画面の合成映像にするわけです。

 歌手のライブ会場を考えてもらうといいのですが、5万人収容できるスタジアムで遠くに見えるリアル3Dの歌手と、会場のでかいライブ2Dモニターで歌手のアップやおいしいカットを両方見えるという構成です。

 つまり、サッカーだとフィールド全体の固定カメラとしての3D映像がTVに全体に映しだされ、そこに映るスコアボードのでかいライブ画面に通常の2Dカメラ映像が見えるようにする。こうすることでコンサートやライブ会場に行ったのとほぼ同じ視点で、3Dと2Dの両方の映像と情報量を楽しむことが出来ます。

この方法なら、人物が小さいとはいえこれまでのTV映像のカメラでは拾えなかったいろんな選手の動きもわかり、ジオラマ3D映像で推しメンのアイドルだけを追いかけることもでき、ライブのバックバンドも全部見えます。こんな映像があれば僕は絶対欲しくて買うでしょうし、ジオラマの人物は小さいので4Kなどの解像度が高い大画面映像ほど価値が上がり4KTVや8KTVも欲しくなります。


3D映像の価値は箱物ライブにある


 通常の映画やドラマではこの方法は使えません。本来の2Dカメラに映ってない全体像まで作らないといけないので、ちょっと現実的ではないですしそもそもジオラマ全体像なんて映したくないでしょう。もちろんそういうジオラマ固定3D映像と2Dカメラを前提としたオリジナルのシナリオや演出も舞台演劇として作れますが従来の映像作りとは全然違ってきますね。

 これからスターウォーズで出てくるような3Dホログラム映像なども開発されるでしょう。しかし、映画で使われたように主人公へのプライベートメッセージをいちいち3Dホログラムにする必要はありません。他人から丸見えにする必要もなければ、そんな情報量も要らないし、3Dホログラムを映す場所を大きくとるという問題まで発生します。これはTV電話が普及しなかったのと同じ理由で電話は音声だけで充分。むしろ伝える情報量は最低限にしたいのです。僕らはLINEやメールを全て映像メッセージにしたいわけではありません。

 なので、TVのニュースやバラエティ番組や映画も全部3Dホログラムで観たいかというとそういうわけでは無いのです。3D映像の価値はライブ映像やジオラマの再現、舞台演劇など、カメラが動かない箱物でかつライブ的な物が中心となるでしょう。


3D映像はTVや映画の延長で考えるのではなく、新しいライブメディアと捉える。


 TVという平面の映像を届ける利便性やカメラワークの方程式は成熟しています。今までのTVをそのまま3D映像にしましたというのは、メディアの進化としてラジオの収録スタジオをそのままTV映像で流すようなものです。確かに音だけより情報量は増えますがそのためにTVの前に座って映像を見なければいけないというスペースや余計な付加情報まで必要としてないのです。

 3DTVがここまでなぜ失敗したかというと、従来の2Dカメラワークをそのまま3D映像に延長する考え方がいけないのです。3D映像は別のメディアだと思うぐらいでライブ映像やジオラマ撮影に特化したような内容の情報量発展が望まれます。これから3Dホログラムへつながっていくとしても、映像ソフト面での主役は「箱物ライブ」を中心に広げて、それをこれまでの10倍や100倍の価値や数を売るぐらいのプロモーション戦略が必要と考えます。

以上が、僕の考える3Dテレビの映像戦略でした。

2014年10月23日木曜日

セガは早すぎたから失敗したのではない。

セガの話の前にこちら。

技術と時機 | Preferred Research

(1)時機を見極めるのは専門家でも難しい。しかし勝負をしないと舞台に上がることすらできない。

(2)成功してからの後追いは自分でゲームを変えられるぐらいでないと難しい。しかも成功している方は100倍ぐらいの差はあっという間につけることはできる

(3)成功する時機のスイートスポットは半年〜1年である。それより前より後でも成功することは難しい

(4)一方で準備は数年前からはじめていなければならない

 新技術とその投入タイミングはこんなにも難しいという話です。時機を見極めるのは当の専門家でも難しいのに、やらないと舞台に上がれないけど、そのタイミングが早すぎても遅すぎてもダメで、でも準備は数年前からやらないといけない、、、あまりに矛盾が大きすぎます。

技術会社であるPFIの中の人らしい話ですが、僕は「技術」と「時機」は必要条件であってそれだけでは成功に至らないと考えます。むしろサービスにどういう「背景哲学」があるかどうかが最重要であって、そこに「技術」と「必要な時機」が引き寄せられると考えます。

この話は(3)のスイートスポットを取り除くと必然的に(1)の時機を見極める必要も無くなるので、「早すぎる準備をし続けたものだけが来たチャンスを一番最初に捕まえられる」とシンプルに出来そうです。


 準備をして数年後のスイートスポットなんて確かに専門家でも分かりません。振り返ってみればあの時が分水嶺だったというのは誰にも明白ですが、まだ誰も成功してない新サービスで市場を開拓するなら、そのインフラや関連技術や世界のいろんな動向まで予測しきれないです。

【あまりにも早すぎたサービス達】


 例えばTwitterのサービスは早すぎました。2006年当初はギークやネットに詳しい人しか使っておらず、芸能人や大統領が使うようになるスイートスポットに至るまでには数年間待つ必要があり、その間収入もなく、猫がメンテナンスしてる状態でした。

 Googleの検索サービス開始も早すぎて、しかもCEOとなるシュミットが来るまで広告も大反対しているので同じく収入がベンチャーキャピタルだよりの状態で大規模Webクロールとサーバー処理をさばいてます。

 Youtubeも早すぎです。創業以来Googleに買収されても単体では毎年莫大な赤字を垂れ流しつつ、Google所有のダークファイバーを使い現在の広告システムが受け入れられるまで長い道のりを歩いてます。

 Amazonも早すぎました。ずっと赤字のまま問屋価格のような安売りを続け、10年以上たってやっと利益が出る頃になっても全額を技術とインフラ投資にあてて利益を出しません。

 Microsoftなんて「最初に溺れろ」なんて標語があるぐらいフライングすぎます。Windowsも、Excelも、Wordも、IEも、DirectX(当時はGameSDK)も、Ver1.0の製品が全然使えないのです。Ver3.1とかVer5ぐらいでやっと安定します。

 Appleも同じく、「S」のつかない 3G以前のiPhoneがスマホとして完成されてなかったり、当時SSDが高価で40万近くしたMacBookAirを買った人は、約半年後にちゃんとSSD性能が発揮できて10万も安くなる2代目が出てくるなんて思いもしなかったでしょう。

 彼らはサービスタイミングのスイートスポットなんて気にしていません。製品やサービスが本来どうあるべきか。それを使って人々にどんな感情を与えれるかなど、背景哲学がしっかりしてるからとにかく先に舞台にたち、来るべき未来の準備をするのです。

参考:
Twitterのコミュニティ哲学とは?創業者の本の解説を書きました : けんすう日記


2010年にPFIは電通とXappyというサービスを始めました。
...
コアなユーザーはそこそこいたが一般に普及することはなくサービスは離陸しませんでした。スマホが爆発的に普及したのはその1年後でした。一方で今のSmartNews, Gunosyはここしかないというタイミングで離陸し爆発しました。

 Xappyが提供するはずの体験を信じるだけの背景哲学があれば、数年改善し続け電通仕込みのマーケティング調査と、スマホ普及に合わせた段階的なプロモーション展開でその分野のNo.1になれたかもしれません。

Xappy(ザッピー)(@Xappyofficial)さん | Twitter

 Twitterアカウント更新が2012年で止まっています。開発自体が止まったのはいつかわかりませんが、SmartNews や Gunosy がTVCMも打つほど躍進したのは今年なので、あと2年改善を続けてリードを広げてたら違う結果もあったのではないでしょうか?


で、本題です。


【セガは早すぎたのか?】


 よくネタにされる話で、アーケード全方位回転筐体の「R360」、カラー画面で遊べる携帯ゲーム機「ゲームギア」、家庭用大容量CDROMシステム「メガCD」、ドリームキャストに「標準モデム搭載」、開発費ギネス記録のオープンワールドゲーム「シェンムー」など、セガが早すぎた話には事欠きません。


【R360】


 今じゃたぶん風営法違反になりそうな「R360」は早すぎたというか、いまだR360に世間が追いついてないので、まあ置いときましょう。


【ゲームギア】


ゲームギア 本体 【ゲームギア】

 ゲームギアはゲームボーイのモノクロ液晶に比べてカラーだったのですが、アルカリ電池6本で3時間はちょっと起動時間短く重たかった印象です。それに比べると「枯れた技術の水平思考」なんておもちゃ哲学をもってた任天堂の方がコスト的にも総合的なユーザー体験も格上でした。

 【メガCD】


MEGA‐CD 本体 【メガドライブ】

 メガCDはワールドワイドで600万台売れ、その後の「セガサターン」へつながっていくので、先行投資としても良かったと思います。「シルフィード」や「夢見館」みたいな名作や「ナイトトラップ」「スイッチ」などの迷作もありますし。


【ドリームキャストの標準モデム】


ドリームキャスト本体


 ドリキャス標準モデムは確かに早すぎたといえるでしょう。一番活用されたのはオンラインRPGのPSOだったと思います。(個人的には初めてネットでカルドセプトが遊べて楽しかったのですが) 当時まだADSLも普及してなく深夜のテレホーダイタイムでつながるかつながらないかというインフラ状況は厳しく、ゲーム初心者でも簡単に手続きできるよう、isao.net というプロパイダ会社を新たに作ったりネット接続対応も莫大な費用の一部となっていました。


 しかし、ドリキャス撤退の発表は発売から2年2ヶ月後の2001年1月。実はこの8ヶ月後、2001年9月に YahooBBが誕生してADSLの価格破壊が起こります。後にADSL元年と言われる年で、ADSLサービスでは不可能と言われた3000円の価格を各社が追従し契約者増で採算が合うようになり、日本はこのずっと世界一ネット通信料が安い国となります。

 たられば話ではありますが、ドリキャスには神周辺機器ともてはやされたブロードバンドアダプタの発売がすでにあったので、ADSLへの対応が可能。ドリキャスで必須のグループプロパイダ、isao.net がブロードバンドゲームユーザーを大量に囲い込むことで長期的なネット投資が回収できた可能性もあります。ここへバーチャファイターや、従量KDDI専用回線だったストリートファイター3、連邦VSジオン等を定額で繋げたらどれだけ快適だったでしょうか。

 2年目の年末商戦で進退を決めるのではなく、あと1年。いや8ヶ月でも、ネットを信じてネット対応ゲームを中心に作ってたらゲームの月額課金と、プロパイダ料金でユーザーを囲い込む芽があったかもしれません。しかし、セガからのネット対応キラーソフトは撤退時点でPSOのみ。(バーチャロンもあったかな?)。つまりセガは初めから社の戦略が統一してなく、背景哲学が部署ごとにバラバラなのが問題でした。

 これはバーチャファイターという名作を生み出しておきながら、家庭用アーケードスティックの作りがしょぼいとか、アーケードで業界最先端3Dゲームを作っておきながら、サターンは当初究極の2Dマシンとして設計されたとか、セガがやるべき3Dワークステーションの100倍のコストダウンを狙ったのがライバルのプレイステーションだとか、ネットワーク標準装備のドリキャスに遊べるネットゲームがないとか、CDROMの流通がカセット時代からあまり改善されてないとか、全部署がバラバラの方向を向いてたように思います。



【シェンムー】


シェンムー1通常版


(さすがに2世代以上前のゲームだと表情が硬いか?)


(幻のセガサターン開発Verのシェンムー。サターンのくせに顔のアップに切り替えるモデリング凄いw むしろこれぐらいの人形劇の方が違和感ないような。)


 1作目で70億、開発も慣れボリュームアップしたシェンムー2でも20数億かかってるとWikipediaにあります。それで100万本も売れてないのだからまさにチャレンジするには早すぎるオープンワールドゲームでした。ソフト面ではセガ最大の失敗作といえるでしょう。ですが海外では「2000年度・最も革新的なゲーム」という栄誉をもらったそうです。ドリキャス撤退の件もありここでセガはシェンムーの続編を諦めました。

 そして、シェンムーから2年後にアメリカのRockstarGames社からPS2でオープンワールドゲームの本命が出ます。「グランドセフトオート3」という1500万本売るモンスタータイトルです。ここで日本の開発者が「GTAはすばらしい」というと、海外の開発者から「何言ってんだ、最初にシェンムーがあったじゃないか。」と言われるほど「シェンムー」が実現したことはエポックだったのです。

 これもたられば話ですが、シェンムーのようにゲームソフト1本で完結しないことが分かってる連作ゲームなんてものはそもそも売れません。映画タイトルにわざわざ序章とか第1章とかつけないのと同じ理由です。売上も右下がりになります。中国を舞台に1作目で完結させてから2へ話を広げるべきでした。それなら1作目の売上も変わるし、2作目を全然違う世界観へピボットさせることも可能です。昨今のゲーム業界から逆算してもあのタイミングでのオープンワールドゲームはベストタイミングでした。

 であれば、RockStar社が次に1000万本以上売るオープンワールドゲーム「レッド・デッド・リデンプション」を起ちあげたように、あの時点でセガは「シェンムーエンジン」としてオープンワールドゲームのフラグシップが取れる可能性がありました。1作目の70億が、2作目は3倍以上のボリュームアップで20数億に収まってます。ならば「シェンムーエンジン」の3作目コストパフォーマンスはもう少し期待できるでしょう。このノウハウの蓄積を「大成功」と捉える人はいなかったのでしょうか? ドリキャス撤退でお通夜モードのセガにそんな余裕はなかったのでしょうから仕方ないといえば仕方ないのですが。


シェンムー2 (通常版)

 シェンムー2は撤退発表から9ヶ月後の発売でみんなの熱も冷め売上こそ15万本でしたがとても面白いゲームでした。PS2用にエンジンを作りなおすのは無茶かもしれませんが、3作目に全章が入った完全版を出すなり、違う世界観で勝負したら面白かったと思います。あまりにダメージが深かったのか4年後の「龍が如く」までセガは自ら開拓したジャンルで沈黙してしまいましたが。

大ヒット御礼!『龍が如く5 夢、叶えし者』国内出荷50万本突破! そして、『龍が如く』シリーズ全世界出荷累計も600万本を突破!! | トピックス | セガ 製品情報


龍が如く5 夢、叶えし者

 シェンムーのノウハウも引き継がれたであろう「龍が如く」 は、毎年新作を発表し常に50万本は売り上げるというひとつの稼ぎ頭に成長しました。とはいえ今のところ日本市場向けの作品。シェンムーの悪夢が忘れられないセガにとって「龍が如く」のGoサインが降りたのは、RockStarGamesによるオープンワールドゲームの成功例と、龍が如くチームの徹底的なコスト管理によるものでしょう。しかしオープンワールドゲームの実現はもう目新しくもなく、シェンムーから4年間のブランクは海外他社が追いつき追い越すには充分な時間でした。

 (2)成功してからの後追いは自分でゲームを変えられるぐらいでないと難しい。しかも成功している方は100倍ぐらいの差はあっという間につけることはできる

まさに、成功したRockStarGamesとセガの関係にはこれが当てはまるように思えます。



【早すぎたプレイステーション】


 サターンが究極の2Dマシンを目指して開発が進められた時、CGワークステーションをゲーム機価格に落とし込もうというプレイステーション1のコンセプトはあまりに早すぎました。スーパーファミコンになれたゲーム開発者に話をしてもみんな3D映像でどうやってゲームを作っていいかわからないからです。正確には箱やステージを3Dで作れても、魅力的なキャラクターや「人」を3Dで表現する方法がわからなかった。大半の開発者が3Dソフト開発をイメージできないのであまりに早すぎたのです。開発会社はみんな任天堂の次世代機が出るのを待ってたのでほとんど相手にしてもらえませんでした。まだアーケードの最新マシンでやっとテクスチャのないレースゲームができるかどうかが実現されたところだったのです。

 そんな時にアーケードに出てきたのが、セガの「バーチャファイター」です。難しいと思われていた「人」をしかも最新の格闘ゲームとして実現し大ヒットさせました。キャラクターのモーションを3Dできちんと表現し、しかも大ヒット可能だということをセガが証明したのです。「バーチャファイター」はプレイステーションを開発会社に売り込もうとしてたSCEにとって最高のプレゼンテーションになったと語られています。



 このとき、アーケードでセガのライバルだったナムコの協力を得たのも追い風でした。アーケードを舞台にセガと切磋琢磨してたナムコのソフト群が無ければプレイステーションはセガに勝てなかったでしょう。でもプレイステーション開発当初はセガのバーチャファイターどころか鉄拳もリッジレーサーもなかったわけで、この段階でソフト開発社のあてがない3DCGゲームの夢を描くのはやはり早すぎました。しかし、チャンスは早すぎる準備をしていたものが一番最初に掴むのです。


【セガは早すぎたのではない。自らのコンセプトに世の中がすぐそこまで追いついて来てたのを最後まで信じきれなかったのだ。】


 サターンが当初究極の2Dマシンとして開発スタートしたのは仕方がないでしょう。その頃まだCGのアーケードゲームはなく、後に開発したアーケードのMODEL2基盤でも高価過ぎる上、半透明テクスチャも使えないまだまだ発展途上の機種でした。CGワークステーションをゲーム機に落とし込もうとしたPSの設計者、久夛良木健の目指すアーキテクチャの方がもっと早すぎる未来を見据えてました。むしろその状態からバーチャ2のすばらしい移植などを達成し数々の検討をしたサターンは特筆に値すると思います。

 しかし、ドリキャスのネット対応とそのための周辺費用は後発のPS2よりもずっと先見の明がありました。そこまでしていながらソフトの準備をして来なかったのは、ネットの普及を待ってたから。ネット対応が早すぎたのは確かです。しかし常時接続のゲーマーが揃ってくるのは撤退を発表した年からでした。

 売り方、まとめ方は間違えましたが、大規模なバジェットによるオープンワールドゲームのチャレンジもずっと先見の明がありました。商品として今回は失敗したけど、オープンワールドゲームエンジンとしては大成功だという自分達の進む道を信じて、すぐさま世界展開への失敗の分析とPS2への再挑戦を信じていたらどうだったでしょうか。これもRockStarGamesが大成功したから言えることであって、社長交代があって、オープンワールドの成功例もない当時にそんな事思える人は少なかったでしょう。僕も結果が出た今だからこそ言えるのであって、もし当事者ならとても信じきれなかったかもしれません。


1ユーザーとして僕も期待してたドリームキャストの結果は残念でしたが、

【早すぎる準備をし続けたものだけが来たチャンスを一番最初に捕まえられる】 


ことには違いないと思います。

気をつけるとしたら

自分達のコンセプトや背景哲学を未来にあるべき姿だと徹底的に考え抜いたか?

その背景哲学、未来がどうあるべきかを成功するまで柔軟に調整し信じきれるか? 

それを全社で共有しているか?

もしそのビジョンを共有できずバラバラに動いてたらそのチームは勝てない。
信じてなければ目の前のチャンスにも気づかなくなる。

挑戦を続けるためにはバジェットで勝負するのではなく知恵で勝負する。
(シェンムーはサターン版で一度発売して反応を見る手もあったはず)

などが挙げられるでしょうか。

 ムーンショットというケネディが起ちあげた月へ到達する計画がありますが、月は誰にでも見える未来で、いつか到達すると誰もが考えていても実行に移す人はいません。これを100倍速で達成しようとするなら、たくさんの業界と人材とアイディアとの掛け合わせが必要でしょう。

世の中ほんとにいろんなことが起こるので、時には業界外からの助けやチャンスもあったりします。 自分達で持ってない無数のチャンスやアイディアを発見して掛けあわせていくなら、自分達のコンセプトを信じて、やれるだけのことは早めに準備して力の及ばない所は天に任せるぐらいの気持ちでなお信じ続けることが、その後のたくさんのチャンスを発見できるのかもしれません。何も準備してない時に未来の協力を約束する人はいませんが、自分達でできることは全て準備してから、最後の協力をお願いすると案外たくさんの協力者が見つかるものです。

2014年10月6日月曜日

頭空っぽのほうが夢詰め込める



SWITCHインタビュー達人達(たち)▽鳥嶋和彦×加藤隆生~ヒットを生むコツ! - NHK
の再放送を見ました。

鳥嶋編集長が、ドラゴンボールZの主題歌を引用してましたがまさにその一言に尽きるかと。

鳥嶋和彦 - Wikipedia

編集者として多くの漫画家を発掘・育成しており、中でも鳥山明、桂正和の2人が当人達の成功もあり特に有名。彼等は様々な場面で鳥嶋を恩師と呼んでおり、鳥嶋が『Vジャンプ』を立ち上げた際に連載を行うなどと繋がりが深い。鳥山については『Dr.スランプ』と『ドラゴンボール』の編集を、桂については『ウイングマン』の編集や『電影少女』の発案に関わっていた。

SCRAP - Wikipedia

株式会社スクラップ(SCRAP Entertainment Inc.)は、リアル脱出ゲームを中心としたイベントの企画・運営などを行う日本の企業。本社は京都府京都市中京区にあるが、本社機能としては東京都渋谷区の東京オフィスである。「リアル脱出ゲーム」の登録商標を所有している。

代表者 加藤 隆生(代表取締役社長)



【編集者としての才能は「からっぽ」なひとがいい】


「パッと才能が来た時に握れるかどうか。手が空じゃないと握れない。自分に自負があったりすると握れないんですよ。」

編集者としての視点なんで漫画化の才能を読みきれるかどうか。自分なりのマンガ哲学や編集感が強すぎるほど素直な視点で見れなくなるのかもしれません。

鳥嶋氏は、新入社員の頃ジャンプ最新号のマンガを読んで順位をつけてと言われたそうです。しかしアンケートの結果は全く逆。ジャンプの新人編集はみないかに子供視点の目で漫画を見てないかに思い知らされると。


僕はこのエピソードを聞いてアインシュタインの言葉を思い出しました。

「常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションである。」

アルベルト・アインシュタイン - Wikiquote


【頭を「からっぽ」にするには?】


生きていく上で常識、偏見のコレクションは必要です。何の常識もなしに社会を渡り歩こうとすると、すべての行動を1から考えなおして相手に説明したり、それを相手に納得してもらためとんでもないコストがかかり、常識の世界で受け入れてもらえません。

でも、偏見のコレクションを沢山抱えるのは構わないと思うのです。僕の中では敵を許す、悪を受け入れ取り入れるとかで考えるのですが、そのとき偏見が一致しない矛盾したコレクションを抱えてそれをOKとする。あれもOKだし、これもOKで、その偏見の一段高い視点からまとめて圧縮したら、ひとつの偏見に囚われることはなく頭の空間が空くと思うんですね。


【頭を「からっぽ」にする方法?】


「黙ってあなたの話を聞いてくれる人を1人設定する」


番組で加藤氏が、「相談できる相手がいなくてほんとに困っている」と打ち明けるシーンがありました。リアル脱出ゲームをこの規模で続けて運営してる例は過去にない、前例がないので、いろんな問題が起こった時に誰にも相談できないと。

で、鳥嶋氏が総括的にアドバイスしたのがその言葉。

「人間ってしゃべるだけでずいぶん頭のなかが整理される。実は相談するってことはアドバイスなんか求めてない。聞いてもらえるだけで自分はこんなこと考えてたんだとか、こういうこともあるんだとかずいぶん楽になる。」


これはほんとにそう思います。ただ、これは人でなくても良いのかもしれません。

プログラムでは誰かにバグで困ってることを説明しきったら解決することがあるので、
ベアプログラミングという手法が在ります。テディベアに状況を説明するという方法です。


ベアプログラミングと告白デバック: あんどコンサ

これは、とある計算機センターのヘルプデスクに、テディベアのぬいぐるみが置いてあることに由来します。

どうしてもプログラムが上手く動かない。いったいどこが悪いのか、考えても考えても解決できない。……こんな時、一度煮詰まってしまった脳みそでは、それ以上いくら時間をかけても自分だけの力では解決できません。

でも、その悩みを他人に説明しようとした途端、自分自身の問題点に気づいてしまう場合がよくあります。言葉にする過程で、頭の中が整理されるんでしょうね。

整理して説明することが重要であって、相談相手は特に人間でなくてもかまいません。つまり、テディベアのぬいぐるみは、人間のスタッフに相談するまえに、まずクマ相手に相談しろというわけで置かれているのです。これだけで、トラブルのかなりの割合が解決してしまうわけですな。


同様の手法に「告白デバック」というのがあります。

読んで字のごとく。問題が発生したら、とにかく誰かに問題を告白します。大抵の場合は、相談相手が何も答える前に、自分の頭の中で問題は解決してしまうわけです。


どちらも、有名なプログラミングの教科書に載っている由緒正しい手法だったりします。テディベアの件は、かのカーニハンの「プログラミング作法」。告白デバックは、McConnellの「Code Complete」です。


僕の場合はこのブログがそれにあたるでしょうか。
よく、過剰に説明しすぎたり引用多すぎたり本論と外れるような長文記事を書いて、、まあそれらは反響もなくあまり読まれないのですが、それこそ相談してアドバイスが欲しいわけではないので、一旦自分の思考を全部出し切りたいという思いが強いです。一度出しきったらより熟成した次のアイディアや思考がでてきますから。


すでに偏見をもってしまった自分を本当の意味で頭をカラッポにする方法はわかりません。しかし、鳥嶋氏のアドバイスにもあるような「聞き上手な友人」でも「テディベア」でも「ブログ」でも匿名のメディアでもいいので、自分の思考を出しきることで頭のなかに少しカラッポな余裕が生まれると思います。


鳥嶋氏はもうひとつこういうアドバイスもしました。

【楽になるには責任転嫁したほうがいい】


「自分でもう、しょわない。」

まさに、自分で仕事を手放したらそのぶん頭空っぽにできますね。

もちろんこれは、加藤氏も代表として沢山の仕事を任せてるようですが、任せるなりの不安はつきまとうそうです。しかしそれでは結局その不安にさいなまされて頭空っぽにならない。

鳥嶋氏も有名なゲームプロデューサーに言われたそうですが、


【任せたらチェックしてはいけない】


「人はチェックされることを分かってたら仕事の手を抜く。」

これは結構ぐさりと来ました。
鳥嶋氏も1週間悩んだそうで加藤氏も困った顔をしていました。

でも、確かにそうですね。最終判断がチェック者にあるのなら修正されそうな尖ったことはしません。自分の作品ではないと思って無意識に力をセーブするかもしれないし、読者視点よりもチェック者視点を作品が丸くなるでしょう。

「見て見ぬふりをする」
「結果が出た後にコメントするのはいい。」

という、結果まで含めて責任を任せるのであれば、最終判断が自分にあるなら本気度が違ってくると思います。

とはいえ、現場からの叩き上げの人で部下に権限あずけて社運を任せるのは相当怖いでしょう。職業によっては眠ってる部下の能力を出してもらいたいわけじゃなく、安定して決まったことをやってくれたらいいということも多いです。

例えば少年ジャンプは連載20本前後でリスク分散しつつ、かつ結果(アンケート)が毎週出てくるというフィードバックの早さがあります。任せてからの結果と修正が早いからこそチェックしないでもいい体制が作れます。


この話は編集長としてなのか、編集者としてなのか、いつからどこまで自覚的なのか考えると面白いです。

なにせ鳥嶋氏はボツ連発するような鬼編集者。二人三脚で漫画を作ってチェックしていく編集者として漫画家に任せっきりにはしないはず。

番組内のエピソードでも、鳥山明の「Dr.スランプ」案はアラレちゃんが第1話で消える予定でした。主役はDr.スランプのせんべえさんで、その発明品のひとつに過ぎないということですね。少年誌で女の子を主人公にするのが嫌だったそうで。でも、鳥嶋氏はアラレを話の中心に置くべきだと、短編で賭けをして女性主人公の人気があったから鳥嶋氏の案でDr.スランプは発進したそうです。鳥山明に任せっきりだと今のアラレちゃんは誕生してない。


しかし、ワンピースは

ONE PIECE - Wikipedia

「成功も失敗も自分の実力次第という考えで、担当や読者からのアイデアは基本的に受け付けていない」

とあるように担当編集者は作品に手を加えてはいないもよう。だからこそ、あれだけの大長編群像劇を担当編集者が変わっても方針変更されないまま続けられるのかもしれません。

ジャンプ編集者の仕事は、アシスタントや仕事場の確保、飯とか健康状態に気を配ったり、ゲーム化、アニメ化などの調整まで担当編集者の仕事らしく確かに相当な権限を任せています。漫画家とどこまで一緒にやっていくのかというのは、それこそ担当者や漫画家ごとに距離感が違ってて決まったルールはないのでしょう。


だた、鳥嶋氏自身の心境の変化がどの時期からの話で、作家に対して編集者として対応が変わったのか?なども深堀りして聞いて欲しかった所です。


【悟空が成長することに大反対だった】


Dr.スランプの例では、「少年誌で女の子を(主人公に?)描きたくない」という頭が凝り固まってたのは鳥山明のほうでしたが、ドラゴンボールでは「今の悟空は戦闘のたびに(不自然に)大きくして描いている。だけど筋肉をちゃんと描かないと戦闘のビジュアルとして自分の満足の行く画面にならない。だから悟空(の頭身)を大きくしたい。」という意見に鳥嶋氏は大反対だったそうです。いわく、

「少年漫画の鉄則ではキャラクターをいかに(読者へ)売り込むか。連載開始依頼人気が下がり続けたドラゴンボールをせっかくジャンプNo1まで育てたのにそのビジュアルを捨てないといけない。」

かなり不安だったそうですが、この手の変更で必ず来る子供からの抗議電話はこのとき一切なく、ドラゴンボールは悟空の成長も受け入れられさらなるヒットとなります。少年漫画の鉄則で頭が埋まってたのは鳥嶋氏の方でした。

「1回人気が出たからといって、放おっておくと落ちていく。常に工夫しながら新しいものを入れていかないと続かない」

この辺の経験も、ジャンプが常に新しい血を入れ続ける方針へと繋がってそうです。


【先輩の言うことは聞かなくていい】


「先輩に従うと先輩のコピーになる。ちゃんとした基本は早めに覚えてほしいけど先輩に合わせないでね。」
「先輩の仕事や誰かのマンガを見てちゃダメ。研究してもいいけどマネちゃダメ。」


これは意外でした。ジャンプ編集部には、ジャンプ編集部なりのノウハウがあると思ってたからです。それこそインフレ天下一武道会システムみたいないろんなマンガ連載テクニックが。

むしろ担当者ごとにマンガを作っていく過程すらフルスクラッチなんですね。せっかく頭が空っぽな編集者にこれまでのやり方や常識をつめ込まない。自分達で1から夢をつめこむような常に手探り状態。

ノウハウを継承しないというのは効率が悪く、そうそう新人作家が大ヒットしてくれるわけもないのですが、ひとりひとりが1からもがいてるなら時代の変化には強いでしょう。それに教えてもらったことより作品を自ら研究する人たちのほうが本質を学べそうです。ジャンプがベテランを使うより新人発掘を重視するのも頭空っぽな新人作家とからっぽな新人編集者の方が時代に合わせた夢を描けるのだと考えてるのかもしれません。


【ジャンプがダメになったのは新人の新連載がないからだ】


ドラゴンボール、SLAM DUNK、幽遊白書など、大ヒット作が軒並み終了して部数が落ち込み、マガジンに抜かれる前後の話です。Vジャンプを起ちあげ少年ジャンプから離れてた鳥嶋氏は再び少年ジャンプ編集部へ呼び戻されました。

「同じ作家が違う連載を描いていくとタイトルは変わっていても中身が変わらない。子供にそれがバレてた。」

それであちこち謝って前編集長の企画を終了させ、編集部員に

「君たちが作らないと連載ないよ。だから頑張ってね。」

と無茶ぶりした模様。
しかし新人の新連載がなかなかヒットすることはなく、集英社の会議で

「しばらく100万部ぐらい落ちるかもしれません」

との報告。
しかし凄いのはここから粘って、「ONE PIECE」の芽が出てきたこと。そしてNARUTOやHUNTERXHUNTER、ヒカルの碁が続く。

ここはさらっと流してましたが、部数の落ち込みが止まらず、結果が出てないときに現場の担当者や新人作家に任せて信頼しきった、というのは凄いことだと思います。普通は加藤氏のようにそれを不安に悩んだり、自分自身で企画を進めそうなところ。

ここに「運良くヒット作に恵まれた」では片付かない、現場の力を引き出す仕掛けが番組のインタビューに散りばめられていると思います。「頭空っぽのほうが夢詰め込める」いやほんと神回でした。





2014年9月9日火曜日

「仕事のやりがい」を絶対視しない社会


評価経済社会(岡田 斗司夫 )についてそろそろ言っとくか - orangestarの日記

↑この記事読んだ感想ですが、評価や信用が金になるのは昔からそうであって、僕も完全に置き換わることはないと思います。何か一つ物差しが必要で、それが貨幣の役割。


ただ、昔から生活に必要な一定以上のそれより稼いだお金というのは食うためといざという時の蓄え以外は「見栄を張るため」に使ってきたわけです。食べて生きるだけならいざという時でも日本は生活保護の保証もあります。

するとネットの無料の発信力でたくさんの承認を得られる人、Twitterのフォロワーが多かったりRTされたり、Facebookのイイねをいっぱい貰ったりする人は、昔ほどお金をかけなくてもそれで充分見栄を張れるのではないでしょうか。

また、ネットに流れるコンテンツは無料の圧力がかかりライブなりグッズなり広告なりと、コンテンツそのものではなく一つ上のレイヤーで儲ける必要があります。相対的にネットの気軽なコンテンツは無料化に近づき、暇をつぶすためのお金も無料分を楽しむ分にもお金はかからなくなってきます。

評価経済的な価値観が浸透してくると一人暮らし年収300万、、4人家族で5-600万ぐらいをひとつの貨幣経済のクリア基準として、後はバカやったり真面目にやったり仕事以外の人生を楽しむことで評価を稼ぐ方が楽しく生きれるかもしれません。人によってはもっとこの基準を下げられるでしょう。踊ってみた、歌ってみた、作ってみた、それこそコミケなどの評価などもそうです。


すでにそうやってる人には当たり前の話かもしれませんが、まだわりと大半の大人、特に男性は「仕事」と「やりがい」を同一視して「お金を稼ぐことが唯一の絶対価値基準」と定年まで燃え尽きる人は多いと思います。このブログ見る人には少ないかもしれませんが。


評価経済という考え方で参考になるのは、「稼ぐお金」とバカやったり見栄をはったりの「承認を得る評価」を別々に分けて考えた方が生きやすくなるんじゃないかということ。そして生きるための貨幣よりも、承認を得る評価の価値がどんどん高まってるのではないかということ。貨幣はなくならないけどもある一定以上稼いでも昔ほどライフスタイルが変わらなくなる。

勉強できるやつが評価と承認を得られるのではなく、普通程度に勉強できて、その上で何か部活やってたり、特技持ってたりする方が楽しく生きられる世の中。ただ楽しんで無料でやってた承認も評価も、世界ではゲーム実況プレイ動画で億を超えるユーチューバーみたいな人も出てきてます。こういう人は一部なのであえて目指すと仕事になってしまいますが、楽しめば楽しむほどそういうボーナスもありうる評価です。

苫米地英人氏が言うは、日本だと年収3000万と数億円の生活レベルにたいした違いはないそうです。船持つにもプライベートジェットもフェラーリも、規制が厳しくてその能力を自由に発揮できる場所もなく高額のお金を使う場所がない。評価経済的な物がネットで進むのならその3000万がいずれ1000万ぐらいまで縮小するかもしれません。




高度経済成長期は終身雇用で、「植木等」や「釣りバカ日誌」が許されてた時代です。植木等やハマちゃんみたいな人がいる余裕があった。その余裕が文化を育みます。長年の不況と成果主義からはそんな余裕もなくなってしまいましたが、身内だけでゲームセンターCXやってたのが世界で評価される時代になると、そのうち仕事サボって社長と社員でコミケにでかけるとかいろんな文化を育てるのではないでしょうか。ドワンゴの超会議なども単体でビジネスベースにはなく、素人から野生のプロまでいろんな人の居場所を満たすようなイベントで、ビジネスはその何段階か上のレイヤーにあるような気がします。


「お金を稼ぐ事」と「人生を楽しむこと」がイコールではなく、人間の承認欲求は金銭欲求よりも大きい。日本もそのうち24時間闘う仕事人間が減り、ヨーロッパ以上に休暇を楽しむ人が増えるんじゃないか、「仕事」と「やりがい」を絶対視しない「仕事のやりがい」<「趣味のやりがい」という価値観が浸透していってるのではないかと感じました。

2014年8月25日月曜日

ハリウッド脚本術がクソシナリオを量産してる件


みんなは不思議に思わないだろうか?

ハリウッドには名著と言われる脚本術や、そのスクールまで存在し
いろんな名著が発売され、公開されてもいてる。

ではなぜ、それを元にした毎週心に残るような映画が見れないのだ?


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ピクサーの「脚本の書き方講座」が素晴らしかった - Gamers, Be Ambitious


ピクサーに学ぶ!人を魅了するストーリーライティングの22のルール



スターウォーズに学ぶ!熱狂を生むシナリオ作成の12ステップ


【第一話】フィルム・スクールとは:ハリウッド業界でのフィルム・スクールの役割 | AFI


ハリウッドではフィルム・スクールの業界における存在感は大きい。
ジョージ=ルーカス、ロバート=ゼメキス(USC)、デビッド=リンチ、
テレンス= マリック(AFI)、フランシス=フォード=コッポラ(UCLA)、
マーティン=スコセッシ、スパイク=リー(NYU)など、
多くの著名監督 がフィルム・スクールを卒業している。

これまでに何万人と卒業してるはずで、チャンスや運もあるだろうが
シナリオに関しては使えない劣化コピーを量産してるようにしか思えない。

1位○○○・2位インド・3位アメリカ←映画製作本数ランキング - NAVER まとめ


1ナイジェリア 2000本以上
2インド 1200本以上
3アメリカ 600本以上

ハリウッドで年間600本以上作成され、
そこから厳選して日本で公開になる多数の映画から、
本当に心に残る面白いハリウッド映画なんて年に1本もあるだろうか?

いや、映画マニアに言わせたら
「それは君の見てる作品が少ないだけで、5本は確実にあるよ。」
というかも知れないが、5/600 本でも少なすぎる。

どころか、なぜクソつまらないストーリーになるのかの方がわからない。
小説や漫画の上位600位内であれば面白いものだらけなのにだ。
仮に上記脚本術が名作を書く技術ではなく、
脚本の底上げをするテクニックだったとしても、お粗末過ぎる。


実際読んでみると、確かにためになることを書いてる項目も多く無駄にはならないが
このテンプレートを使うことそのものがミスリードになって
物語を意図せず殺している。
スクールになぞってそれを講義してみよう。

teruyastarのシナリオ講座

1限目「ハリウッドのテンプレートは役に立たない」


ハリウッドの三幕構成や、神話の法則などのテンプレートは、
旅の始まりから、葛藤をえて、その解決や許しで宝を持ち帰ってくるのだが、
この通り作ってもありきたりなハッピーエンドで終わるだけだ。
子どもが初めて映画を見るときは感動するかもしれないが、
その後このテンプレートを見ても、どんどん心に残らない映画となる。

このテンプレートが本来のとがった物語を丸めてしまうからだ。
角が丸くなった物語は観客に刺さらない。
そうなると、物量で金をかけて観客をぶん殴るのが正義になってしまう。

100億単位のお金で観客をぶん殴るのはハリウッドでもそう多くはないし、
そこを丁寧に作ればある程度のヒットは約束されるものの、
じゃあそれが心に残るかというと、物量的には楽しいのだけど
少したったらストーリーを覚えてなかったりする。


島国さんが面白いレビューをしているので、
できれば合わせて読んでもらいたい。
この記事はもともと島国さんへのカウンターとして書かれている。

オール・ユー・ニード・イズ・キル の映画と漫画を比較して思った事とか。 島国大和のド畜生

なんというか、
日本人の国民性(この辺の言葉はアヤが出やすいが、厳密ではなく)として、
「同質性が高い」ゆえに、細かい違いや、揺らぎ、
作家性とかに楽しみを見出せてる気がする。

かたや西洋の楽器だと、オーケストラみたいな、正しい音を正しく出す。
そしてそれを複数使って厚みを出す。みたいな印象だ。
どんな人種がどう観ても解る様な、面白く感じるようなつくりになっている。

悪い言い方を使うと、日本の創作物は「内輪ウケ」的なのだ。
なんか私小説とか、日本以外ではあんまり見ない形態だというが。そういう感じ。
お互いが良く分かり合ってる均質な人たちのなかで、違いを楽しむというか。

略)

金をぶっこめばぶっこんだ分だけ、良いものが作れるのは西洋式のほうだし、
多くの人に響くのも西洋式だ。


オール・ユー・ニード・イズ・キルの解釈にはためになるし納得です。
だけど総論では違う結論を持ちました。
やはりこの表現は誤解を産む。
特に「内輪受け」「ハリウッド三幕構成」「ABテスト」がミスリードしやすい。

こういうことを言うのは島国さんだけではなく、
ハイコンテクストは深く刺さるんだけど、
ガラパゴスで内輪受けは世界に通用しないから
世界に向けてコンテクスト依存を減らすローコンテクストを狙えと言われる事は多い。


ハイコンテクスト文化とローコンテクスト文化

「コンテクスト」とはコミュニケーションの基盤である
「言語・共通の知識・体験・価値観・ロジック・嗜好性」などのことです。

ハイコンテクスト文化とはコンテクストの共有性が高い文化のことで、
伝える努力やスキルがなくても、お互いに相手の意図を察しあうことで、
なんとなく通じてしまう環境のことです。

とりわけ日本では、
コンテクストが主に共有時間や共有体験に基づいて形成される傾向が強く、
「同じ釜のメシを食った」仲間同士ではツーカーで気持ちが通じ合うことになります。
ところがその環境が整わないと、今度は一転してコミュニケーションが滞ってしまいます。

このことから、日本においては、
「コミュニケーションの成否は会話ではなく共有するコンテクストの量による」ことと、
「話し手の能力よりも聞き手の能力によるところが大きい」ことがわかります。

一方、欧米などのローコンテクスト文化では
コミュニケーションのスタイルと考え方が一変してしまいます。
コンテクストに依存するのではなく、
あくまで言語によりコミュニケーションを図ろうとします。

そのため、言語に対し高い価値と積極的な姿勢を示し、
コミュニケーションに関する諸能力
(論理的思考力、表現力、説明能力、ディベート力、説得力、交渉力)が
重要視されることになります。


多くのハリウッドテンプレートも、
この分かりやすいローコンテクストに丸める事へ誘導する。
これが大きなミスリードだ。

ローコンテクストは何も考えずに見れる花火のようなものだ。
面白くするには、お金をかけて物量と質を毎回上回るか、
1年に1度と、間をあけねば感動が減ってしまう。

しかし、ハイコンテクストは分かる人にはとても面白いが
観客が極端に減ってしまう。
さて、どうする?

2限目にいく前に自分なりにここで考えて欲しい。




2限目・ハイコンテクストを狙え!!


ハイコンテクストが一番面白いに決まってる。
内輪ウケが一番面白いに決まってる。
じゃあ、ハイコンテクストの内輪ウケを作れ!


、、というと、ハイコンテクストの押井守と、ローコンテクストのハリウッド映画では
ハリウッド映画の方が正しいだろと反論するだろう。

ならば言い直そう。


映像はローコンテクスト、テキストはハイコンテクストを狙え!!


映像は分かりやすく論理的なローコンテクスト。
テキストは、ハイコンテクストで構わない。

押井守は、映像もテキストもハイコンテクスト、だからまずいのだ。


ハリウッドで分けわからないシナリオが通じるか?


というのは、映像のインパクトさえ抑えてたら全く問題ない。
良い例が「マトリックス」だ。



あれのテキストはかなりハイコンテクストかつ、2部、3部になると
日本のオタクでもついていけなくなるほどだが、
映像が徹底的にローコンテクストになってて、
観てるだけでヒャッハーできる。

元ネタのひとつとなった押井守の攻殻機動隊の絵は
分かりやすい見せ場のあるローコンテクストよりだったが、
その続編のイノセンスとなるともう、映像まで徹底的ハイコンテクストで、
美麗な映像を挟んでトグサとバトーさんが立ち話してるだけになる。
1作目の攻殻と比べていったいなんなんだこれは、、、





素子の裸どころか、女の肌ひとつもでてきやしない。
しかも、格闘や銃撃シーンも1作目と比べかなり控えめで
ハイコンテクストの世界ではなくとめ成り立つシーンである。

もしマトリックスの映像をテキストハイコンテクストに合わせると、
イノセンスと同じように、
あの世界でのエージェントとの銃撃や格闘が無意味になってしまうだろう。
ネオが覚醒して無敵になってからの2部、3部はなおさらのことで、
その概念を分かりやすすぎるイメージ映像にしましたという形でしか無い。
だから、

マトリックスぐらい極端に映像のローコンテクストと、
テキストのハイコンテクストを切り離す必要がある。


こう考えると押井守は、
ストーリーとはあまり関係ない無駄な見せ場で観客を退屈させない
ジョン・ウーや、ローランド・エメリッヒにあたるような人材を
「映像副監督」として雇って映画を作ったらいいということになる。
(押井守をプロデュースする、鈴木敏夫や石川光久はその辺わかってない。まあ押井本人が言うこと聞かないんだろうけど。)


ハリウッド映画は英語が分からなくても観れなくてはいけない。


多民族国家で、識字率の問題もあったという歴史がある。
だからこそ、テンプレートで丸めてローコンテクストに寄せろと教える。

だがちょっとまってほしい。
英語よくわからんのなら、何しゃべってもいいだろ?
映像のみでメインシナリオが語れるなら、テキストが難しくてもいいだろ?



自分の限界のハイコンテクストをちょっと超えた時、
人は、センスオブワンダー を体験する。


センス・オブ・ワンダー - Wikipedia

センス・オブ・ワンダー(sense of wonder)とは、
一定の対象(SF作品、自然等)に触れることで受ける、ある種の不思議な感動、
または不思議な心理的感覚を表現する概念であり、それを言い表すための言葉である。


マトリックスやエヴァではこれが起こったわけだ。
理解限界のハイコンテクストは、センスオブワンダーを引き起こす可能性がある。

押井守の映像にもついていける人も、これに触れてるかもしれないのだ。

分かりやすい映像に、分かりやすいテキストでは何も残らないし、押井守のような
ハイコンテクスト映像に、ハイコンテクストテキストでは、ついていける人が限られるが、
分かりやすい映像に、ハイコンテクストテキストならば、
多くの人にとがった楔を打ち込むことが可能だ。



2限目はここまで。
3限目は「日本的コンテクストが本当に世界に通用しないのか?」を検証しよう。
その前に、みんな日本発のヒットコンテンツについて考えて欲しい。



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いや、イノセンス面白いよ。
おすすめするかどうかはともかく。

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3限目・コンテクスト「言語・共通の知識・体験・価値観・ロジック・嗜好性」のグローバル化は世代ごとに進んでいる






さて、いきなり映画と違う話なんだが ONE OK ROCK の海外評価で興味を引いたのがここ。


【海外の反応】 パンドラの憂鬱 海外「本当に日本人?」PV総再生数9千万回のロックバンドに外国人熱狂


俺は実際に日本のメタルが、例えばアメリカンメタルより好きだよ。
こっちのメタルよりも革新的でクリエイティブなんだよね。
歌詞はまったく理解できないけど、聴いてて楽しいんだよ。
もしかしたら、理解できないからこそなのかもしれないけど :P
 +5 アメリカ


他にも日本語を褒めるコメントが結構あるが、
日本語に対してアメリカ人からこういう発言が出るなんて思わなかった。

日本人が歌詞に英語を混ぜて、それを英語の意味がわからない中学2年生が聞くのは、
欧米へのカッコよさやあこがれ、コンプレックスなど含めた
まさに理解の難しいハイコンテクスト領域だ。
尊敬とコンプレックスを持たない国の言葉では、こうはならない。
どちらかといえば「日本語」は尊敬やコンプレックスに値する言語ではなかった。
だからアメリカの一部からでもそう思われるようになったのは凄い。

もちろん、洋楽にも似たコード進行や、半分以上英語ベースの歌詞や、発音の正しさ、
聞き心地の良いメロディラインなど、分かりやすいローコンテクストの上での、
日本語というハイコンテクストが良いスパイスになってるのだろう。

全部英語歌詞だとただのまね事と思われ、全部日本語でも海外で理解できる人が激減してしまう。

これはずっとまえから人気のきゃりーぱみゅぱみゅでも起こってる話。
きゃりーは全部日本語なんだけども、
歌詞中に頻発するオノマトペは
言語に依存しない世界共通のローコンテクストテキストだし、
その衣装と「カワイイ」が映像ローコンテクストの呼び水となってる。




松たか子の歌声を世界が大絶賛!! 映画「アナと雪の女王」 - NAVER まとめ

こちらもONE OK ROCKと同じ現象で、
「Full日本語Verの松たか子YouTube映像」ではなく
「世界各国の替え歌の中の松たか子Verのところ」が絶賛されている。




全部日本語はまだ極端にハイコンテクストだが、
日本語をスパイスとして入れるぐらいには、
絶賛されるほど世界のコンテクストは共通化してきた。


これは野球やサッカーの海外勢の活躍も、日本人の科学者も、
TwitterやFacebookの国際的なつながりも、
LCCやらで世界がずっと近くなったのも、
ブロードバンドによる違法アニメ配信や、
フランスで毎年拡大し続けるジャパンエキスポも、
ドラゴンボール、セーラームーン、ポケモン、遊戯王で育ったアメリカ人も、
もちろんYouTubeそのものも大きな原因となってて、グローバルコンテクストレベルは、どんどん共通化している。

前世代で世界に通用しないのが常識だったハイコンテクストが、
今世代や来年は使えるかもしれない。

つまり、
「年を追うごとにコンテクストの共通化が進み世界的ヒットが出やすくなる。」
「若い世代ほどコンテクスト吸収力が早い。」
「世代が進むほど子どもは早熟になる。」
という大事な法則が、過去のテンプレートを使うときはまるっきり無視される。
これもハイコンテクストを狙う一因だ。


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次はちょっと国内の話をしよう。


 ジョジョの奇妙な冒険、連載27年目にしてなぜいまさらアニメが?


現在、ジョジョ初のTVアニメシリーズが放送されてるが、
ここ数年、やたらジョジョのコンビニ一番くじやら、ゲームやら、
映画から、アニメと各方面での展開を見かけるようになった。

ジョジョはジャンプでも人気はあったが、
その絵柄がくどくて見ないという人も多かったし、
ドラゴンボールのようにわかりやすい戦いでもなく、
心理サスペンスバトルみたいな展開を続け、
長い連載の中では掲載ページが後半に追いやられることもあった。

どちらかというとカルト的人気で、
アニメにしたって一番人気第3部の、
しかも終盤のみをOVAにするしか、採算が取れそうにないぐらいには
ハイコンテクストコンテンツだった。

そのジョジョの発明は「スタンド」。
「波紋」は映像的コンテクストがまだ高く、
第3部で超能力を分かりやすい人型のビジョン「スタンド」としたことで
映像のローコンテクストが可能となった。
でも、まだ絵柄など含め全体ではハイコンテクスト。

しかしハイコンテクストで深く刺さったファンは、ジョジョの名シーンをずっと忘れない。
どの章が好きかという違いはあれど27年分のファンが
刺さって離れなかったとしたら一大市場になる。
だからこそ今27年前の連載を放送してもTVアニメが成り立つのではないだろうか?

これは、TV初回放送が軒並み低視聴率でエンディングを迎えてから再放送で火がついた、
ヤマト、ガンダム、エヴァもそうだが、
ハイコンテクスト狙いは、再放送の視聴に耐える。
つまり初回上映のみならず、DVD販売も再放送権利も
ハイコンテクストの方が長期にわたって商売しやすいということになる。
これも、テキストハイコンテクストを狙う一つの要因。
 

国内に限らず、ハイコンテクストは長く商売しやすいのだ。


3限目はここまで。

さて、ここまでの視点はハイコンテクスト中の、ハイコンテクスト。
ハイパーコンテクストと言える物の扱い方だ。

ここで講義を終えてしまっては
「なるほど、映像の担保があれば、テキストはとことん難しくしていいのか!!」
とばかりに勘違いしてる奴がいるかもしれない。
だがそれもひとつの方法論、
あくまで組み合わせの要素のひとつにすぎない。

ここでコンテクストの意味をもう一度考えてもらいたい。

学者や天才が深遠なレベルで体験する共通の知識だけが、ハイコンテクストではない。
もっと身近で、普遍的で、解決できない悩みも、ハイコンテクストなのだ。
4限目は、身近な自分の悩み、自分達の問題こそ大げさに表現することを考えよう。


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4限目・世界のハイコンテクストを狙え!!


コンテクストの定義を思い出そう。

コンテクストとは「言語・共通の知識・体験・価値観・ロジック・嗜好性」などのことです。


そしてハイコンテクストが面白いことはわかっている。
しかし、国ごとで言語も共通の文化も体験も違う。

いや、押井守みたいに難しく考えることはない。
もっと自分の言葉で、自分達の体験で、自分達の身近にこそ
世界共通のハイコンテクストがあるのだ。


アナと雪の女王




制作費1億5千万ドル(150億円)。
興行収入が12億ドル(1200億円)。
世界歴代5位。
アニメでは当然1位。
しかもディズニー伝統のミュージカル方式。
長年ピクサー作品に水を開けられていたディズニー映画の
面目躍如となった記念すべき作品だ。
(まあ、現在のディズニーには吸収されたピクサーのジョン・ラセターが、
クリエティブチーフオフィサー(CCO)としてアナも制作にあたってはいるが。)

このストーリーにはいろんな評価があって、
家族愛や姉妹愛だったり、女性の自立だったり、
劇中の「真実の愛」が同性愛を肯定する映画だという解説まであるのが面白い。

アナと雪の女王を同性愛映画だと見られる8つの理由


この講座としてアナと雪の女王を解釈すると、
映画には4つの女性が描かれている。

王子様を待ちつづけるかわいらしい理想の少女アナ。
待たずに自分から主体的に行動を起こす理想の女性としてのアナ。
自分の感情をコントロールできずに他者を傷つける現実としてのエルサ。
感情のコントロールで世界をそのまま受け入れる現実としてのエルサ。
そして最終的には理想と現実が和解、融合する。

これは1人の女性の4面性のどの段階をも全て肯定した、
女性讃歌の映画と考える。

本来成長前の否定材料として描かれるような
引きこもったことも、癇癪を起こすことも、
わがままに生きることも、王子様を夢見ることさえも
この映画では歌として全て肯定されている。

もうちょっとわかりやすく表現すると、
「全世界の女性あるある肯定映画」がアナと雪の女王だ。

講座というには格が落ちる表現だが、「あるある」が分かりやすいだろう。
世界に受け入れられる「あるある」肯定は、
「言語・共通の知識・体験・価値観・ロジック・嗜好性」
というハイコンテクストとして楽しめる。


そしてこのハイコンテクストをもっと掘り下げると、

これは私のために作られた物語ではないか?


と錯覚させることにある。

アナと雪の女王を見て沢山の女性が、
「これは私の事を描いてるのではないか?」と思わせたらハイコンテクスト達成である。
もちろん同性愛の人がそう錯覚できるように見えるのもハイコンテクスト達成。
「私の理想をそのまま描いたかのようだ」でも達成だ。

いかに、沢山の思想や文化や人種や民族にも共通となる
「自分のための物語」を達成するには
内輪受け、自分の身近にある日常からこそ、普遍的な共通点が見いだせる。


ピクサーが垣間見せたシナリオ術こそハリウッド脚本の上辺をなぞってるだけだが、
自分達で作る物にはちゃんとそれ以上のことを
理解してるんだろうと思える作品でもある。


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さて、4限目はここまで。
そして、本講座の役目も終了だ。


あとがき


世間では「日本的ガラパゴスがダメ」だから
「コンテクストを排除した質と量で勝負しなければいけない」
という風潮が強く、実際にはその資金と信用が用意できなかったりする。

もちろん、教えたり言ってる本人達には4限目までの事は「当たり前」すぎて
こんな労力をかけて説明することでもなく、
批判したハリウッド脚本術からも、
深く読み解こうとしたらそういうふうに読めなくもない。

たが、そこがむしろ大事なことなので、
そこを当たり前として説明せず「三幕構成」「神話の法則」「ABテスト」
なんてテンプレートをつけるとローコンテクストへ流れる。
そこにいろんなすれ違いが起きてしまう。

だから感覚的にわかってる人が「当たり前」としてほとんど説明しない
まさにハイコンテクスト領域を、こういう風に言語化する必要があるのだ。






、、あとがきと書いたな。

あれは嘘だ!


5限目に入る!!


ここからは、趣味とジョークの世界だ。
上記の理論を近年の作品に当てはめて検証していこう。
もう少し話を聞いてみたい人は補講のつもりで残るように。




5限目・君の物語


進撃の巨人






どんぐりこ - 海外の反応 海外「日本語版がいい」アニメ「進撃の巨人」、アメリカのティーンに大人気だった


『進撃の巨人』が香港で支持される意外な理由「香港は壁を破って来た中国という『巨人』に食べられようとしている」 | オタク.com


進撃の巨人は、巨大な力に抑圧され続ける、人類の反乱という構図になる。
普遍的ながら、敵である巨人の造形が誰も真似しないぐらいのローコンテクスト過ぎて逆にそれがいい。

これは巨大な隣国に抑えつけられる国でも、
巨大な企業に抑えつけられる中小企業でも、
巨大な政府と民衆でも、
上司と部下でも、
社会と、ちっぽけな自分でも、
「自分の物語ではないか?」と錯覚できるハイコンテクストテキストになっている。


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村上春樹


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村上春樹 - Wikipedia


日本国外でも人気が高く、柴田元幸は村上を現代アメリカでも大きな影響力をもつ作家の一人と評している。
2006年、特定の国民性に捉われない世界文学へ貢献した作家に贈られる
フランツ・カフカ賞をアジア圏で初めて受賞し、
以後日本の作家の中でノーベル文学賞の最有力候補と見なされている。



村上春樹が世界で愛される5つの理由 - NAVER まとめ


--末うつ状態に陥っていた頃、ふとこの小説(ノルウェイの森)を再読する機会が訪れました。
すると、驚くほど登場人物たちに共感している自分がいたのです。

--「ある限定された心情を持つ人々に共感と教訓を鮮やかに与える能力」が彼にはあると感じています。

--あるジャンルについて詳しくないと読めなかったり、ある種のイデオロギーが正しい・間違っている、
という前提でないと理解できないようなものを極力避け、
不特定多数の読者が読めるようにするための文章を書くために、技術を駆使している

この講座の文脈で言えば、村上春樹の書いてるものは「大人あるある」だ。
ライフスタイル、モラル、セックス、自分探し、家族との関わり、
友人との関わり、世界との関わりなどを、ときにカッコよく、ときにダメ人間として
だれでも一度は通ったりもやもやと考えたりしたことあるだろうことを、
はっきり心地よく文章として表現してくれる。

だからこそ

「これはまさに自分が考えてた問題じゃないだろうか?」

というハイコンテクストを達成している。



妖怪ウォッチ




こちらも現在大ヒット中でいろいろ言われているが、
この講座の文脈で言えば、「子どもあるある」だ。

学校でウンコしただの、それを暴露しただの、夜中にエッチな番組みるだの、
「子どもあるあるは、全部妖怪のしわざ!」
というコンテクストが上手い。

これは企画したレベル5の「発見」だと思う。

とてもいいなと思うのは、子どもたちが自虐的にネタにできる事だ。
本来誰かのせいにするようなミスすら、
妖怪ネタがあることで、笑いに変えることができる。

客観視点や、自虐ネタで、笑いにもっていくなんて
一部の賢い小学生にしかできない高等技術を、
妖怪ウォッチは誰でもある程度可能にしてくれた。

そしてこの世代のコンテクストレベルもまた一つ上がることになる。



勘の良い人は気づいただろうか?
妖怪ウォッチのネタは「日本の小学生」だ。
今現在、「世界版の子供あるある」は手付かずのまま。
レベル5が世界版に広げれるかどうかも注目だが
そこにものすごいデカイ市場が眠ってる事になる。

もちろん日本には「妖怪」という
不可思議現象の土台コンテクストがあったのは大きいし、
このやり方だと、各国に合わせて
ネタを作りなおさねばならないかもしれないが、
それすら世界の子供共通のコンテクストを発掘するチャンスかもしれない。


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パシフィックリム




日本の特撮怪獣映画を、ハリウッドで本気でやるとこうなるという例。

興行成績 4億ドル(400億)。
これはアメリカ・カナダで100億、日本で15億なので、
それでも充分だが中国における大ヒットが大きい。

この話は妄想で憶測の域を出てないことにして欲しいのだが、
なんで中国における怪獣映画のコンテクストが、
発祥の地である日本よりも高いのか?
という妄想だ。

調べると90年代にウルトラマンシリーズが大ヒットしたようだ。
昔にウルトラマンを知っていたらパシフィックリムは楽しめる。
怪獣人気はここら辺で定着したと考えて良さそうだ。

日本特撮ヒーローの海外激闘史


円谷の商業的にはあれこれあって儲かってないようだが、、

ウルトラマン裁判、中国最高裁で円谷プロが敗訴 ユーエム社「中国版ウルトラマンでリメイクも」


どうも、ウルトラマンではなく「怪獣」が人気らしい、、、


中国の著名テレビキャスターが「ウルトラマンより怪獣の方が正義の味方。日本人たくさんやっつけるから」に大爆笑するも… | どやさ速報


えっ?
怪獣から逃げ惑う日本人の表現が、反日コンテンツという扱いなの?

まさかそんな、日本の戦後直後で陰鬱としてたとき、
「白人をバッタバッタとなぎ倒す力道山」じゃあるまいしw
そういえばパシフィックリムの舞台の一つ香港がめちゃくちゃになってたけど
香港が金持ち多いので腹立つとかあるんだろうか??
いや、ないw

こんなハイコンテクストが通用するなら、日本の名所を壊しまくったゴジラが、
アメリカ上陸して、アメリカまでぶっ壊してくれたら中国大歓喜になるのか?


中国で「ゴジラ」大ヒット 初日売り上げ歴代1位の42億円…ただしハリウッド版ですが - MSN産経ニュース




いや、パシフィックリム超えて500億らしいが偶然偶然w

そんなんだったら、インディペンデンス・デイ2とか作って、
日本とアメリカの名所全部ぶっ壊して、
逃げ惑う人々を描き、日本は沖縄残して沈没させ、
アメリカは全国土焼け野原にして、(ついでにロシアも)
その上で残った人類が、決死の戦いを挑んで勝つとかの脚本にしたら、
もう聖典レベルの扱いで何年も延長上映されて
その1作の中国上映だけで、アナと雪の女王抜くんじゃない?


なんて、いろいろごめんなさいw

これは冗談だけど、売れてるものの背景に流れてるハイコンテクストはなにか?
と予測するのが、次のヒットのタネでもあるので、
今ヒットしてる映画のハイコンテクストを読み取るのはものすごく重要になるから
この考え方も覚えておくといい。




さて、もちろん6限目もあるのだが、

ここまでの文脈に当てはまらないのが、クロサワ映画だ。
日本の映像が欧米に受け入れられにくいのには理由がある。
だがクロサワは日本映画のまま、あの時代から世界の監督に認められた。
もちろん、アメリカで上映して大ヒットというわけではないので、
むこうの監督からもハイコンテクスト扱いではあるのだが、
現代の日本映画と、クロサワの違いから、
どうやたっら日本映画が、日本映画のまま
欧米でヒットするか考えて6限目に進んで欲しい。


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6限目・新説・クロサワがなぜ世界で受け入れられたのか?


その前にまず、日本を始めとしたアジア圏の映像が、
なぜ世界で受け入れられにくいのかという話がある。
アジアのモンゴロイドはアニメも、俳優も
欧米から見ると20歳は若く見える。
それだけで、もうキャラに説得力が無くなる。

向こうの倫理観では子どもが危険を犯したり、
大人と一緒に混じってることに違和感がある。
だから日本の映像は、韓国、台湾、中国では問題ないけどアメリカではヒットしない。
ハリーポッターやディズニーのように、
元が子供世界のファンタジーや子供番組なら別なんだが。。。

もうちょっと分かりやすく言うと、


日本の役者はハゲてないからダメ





日本ではめちゃ渋い佐藤浩市(53)が、
アメリカでは、佐藤浩市(33)にぐらいにしか見えない。
遠目には20代と勘違いされてもおかしくない。





役所広司(58)も髭そって身なりを綺麗にシャルウィってたらアウト。
もっと小汚くして、髪もボサボサで「渇き」になればOK。
(まあ、シャルウィってたときはまだ40ぐらいか。でも欧米からしたら40にも見えない。)




渡辺謙(54)は、ハゲてるからOK。
渡辺謙は少なくとも40代に見える。

真田広之(53)も、同じラストサムライにでながら
扱いがずいぶん違うのは、ハゲてないから。



クロサワの7人の侍は、ハゲ率が高い。





侍はハゲ。当たり前だ。
三船敏郎は、若い役だったからOKといいたいが、
三船はじめ役者陣が、今の日本映画よりもずっと「濃い」んだよね。
トレンディドラマなんかない時代だし。

特にクロサワは時代劇のヒット作も多かった。
スピルバーグやジョージ・ルーカスが「7人の侍」や、「隠し砦の三悪人」は見ても、
「生きる」までは参考にしないんじゃないかと思うw





だから時代劇はわりと映像として欧米でも納得しやすい。
侍はハゲだし、忍者は覆面なので年齢関係ないからだ。
コンテクストとしてはレベル高いのだが、
キャラクターとして違和感がなくローコンテクストとなる。



もちろんクロサワの技術やシナリオ、
当時のトレンディドラマにはでないような俳優陣たち、
というレベルを達成した上でのことだが、
この講座の文脈で言えば、

ハゲだから欧米でも歳相応に受け入れられた

ということになる。

もうひとつ言うと、「モノクロ」の映画だったので
影や彫りがつき、より「濃く」映るということもある。


とすれば、日本人の国際向け映画は
特殊メイクで老けさせて、大人に見せるところから始めないといけない。
イケメンジャニーズで揃えるのはちょっと弱い。

彫りが深くて顔が濃ければいいのか?
というと全くその通りで、
彫りが深く濃い顔にさらにメイクした、
テルマエ・ロマエがイタリアでヒットしたのが記憶に新しい。
あれぐらいの濃さが、スタート基準なのだ。





とまあ、冗談ぽく締めるが、意外と一理あるんじゃないだろうかw
酒の席で映画の話になったら、ネタのひとつとしてもいいかもね。


7時限目??

ありますよ。

たぶん何人か気になってるよね。
なんで「ABテスト」まで否定するの? って所。

僕はハリウッドの事情そのものは知らないのだけど、
この講義の文脈で言えば、
やはり「ABテスト」をやるほどローコンテクストへ流れるので
やるべきではないし、もっといえば
ハリウッドでもあまりやってないんじゃないかと予想するからなんだ。
7限目はその解説をする。


7限目・映画における「ABテスト」は役に立たない


仮にEDを3つも4つも用意して観客のウケを見ても、
ローコンテクストへ流れるだけなのは説明しなくてもいいだろう。

じゃあここでウケの良いローコンテクストの方が売れるのか?
というとほんとの所分からないはずなんだ。

どちらかというとハッピーエンドで終わる映画の方が忘れやすかったりするけど、
例えばアンハッピーエンドで終わる名作と、
どちらが口コミで広がるだろうか?

例えばエヴァンゲリオンのTV版も劇場版Air/まごころを君に も、
盛り上がった観客に冷水ぶっかけるようなとんでもない構成になっている。
そして、それが大きな話題になって、まだ新作をつづけるぐらいだ。
(というかQでも観客に冷水ぶっかけている、、)

TV版で綺麗に終わってたら劇場版は、その総集編になって
ここまでシリーズが長期的人気にならなかったかもしれない。
こんなもの、ABテストしたらあんなエンディングに沢山の票が入るわけない。
そのあと映画としてスッキリ終わってもビジネスとして成功だろうか?


ハリウッドでもアンハッピーエンドだからこそ、
深く刺さって話題になる名作もある。

映画の感想が見た直後は良くなかったとしても、
もう一回見ようという人もいる。
ハイコンテクストにはそういう力がある。

「映画はわかりにくい方が売れるんだな」とは、
もののけ姫で多数のリピーターを出した、宮﨑駿の直後の言葉だ。

それはまたDVDの売上にも大きく関わる。
そこまで考えた時、
映画直後のABテストの感想を果たして鵜呑みにしていいのだろうか?


これがソーシャルゲームの場合だと、
1日に何度も大規模ABテストを繰り返せるから
もし映画が上映中に毎日シナリオとEDが変わっていくとしたら、
それは面白いシナリオが生き残るかもしれないが、
5つぐらいのABテストでは、長期的な判断が難しいだろう。


デビット・フィンチャー の「セブン」と「GAME」




セブン 95年



GAME 97年

セブンは知ってても、GAMEを知らない人は多いんじゃないかな。
どちらもどんでん返しがある面白い映画なんだけど、
それゆえ作り的にとてもABテストがしやすい映画。

ネタバレになるけど、
セブンはハリウッド脚本術でいう、葛藤の克服はできないまま押しつぶされ、
旅立ってから宝を持ち帰ることもなく、闇堕ちとなる。

GAMEでは、その人生観を変え葛藤を克服しハッピーエンドで終える。

セブンはABテストしたのだろうか?
GAMEはテストやっててもおかしくなくて、気持よく終えるのだが、
心に残るのも、商業的成功にも、セブンに軍配が上がる。

まあ、マイケル・ダグラスと、
ブラッド・ピット、モーガン・フリーマン、ケビン・スペイシーとか
役者の違いもあるので、一概には言えないのだけど、
この作品比べるだけでもABテストでは測れないように僕は思う。


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「パシフィックリム」と「SPEED」の違い


大ヒットしたパシフィックリムも、ABテストやってないよね??
象徴的なのが、最後の菊地凛子とチャーリー2人がおでこをコツンとして終わるシーン。

このシーンは、94年(もう20年前なのか)のSPEEDで、
キアヌ・リーブスとサンドラ・ブロックが最後にキスしたのと比べると
パシフィックリムの方がコンテクスト高い。

もしパシフィックリムがABテストやったうえでの、あのEDが選択されたのであれば
世代が変わった観客のコンテクストレベルの上昇を示していることになる。

あのEDは、価値のあるコンテクストになってるし、
だからこそABテストなんかやってないように思える。
マトリックスに至っては最初からABテストの範疇を超えている。
プロデューサーで最初の脚本に迷いが無い限り、
ハリウッド映画でABテストやってる作品のほうが
少数派なんじゃないかと僕は疑っている。

今回の講座では徹頭徹尾「ハイコンテクストを狙え!」なので、
それを観客の意見で邪魔しかねないABテストも、
クソシナリオを生み出す要因と考えるのだが、
まあハイコンテクストEDを複数用意する予算があるのなら
あってもいいかもしれないと逃げておこうかw


次がの時限が補講ラストとなる。
最後は「三幕構成・神話の法則に変わる基準」だ。

先に言っておくが、
物語の基準なんて誰の言うことも鵜呑みにせず
0から自分で考えたほうがいい。
とはいえ、教科書で三幕構成を知ってしまって、
その後名作を学ぼうとすると
「まさにそのとおりだ!」なんて無意識に発想のレールが敷かれてるかもしれない。
なので8限目はそれを打ち壊す基準を伝えておく。



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8限目・「三幕構成」「神話の法則」に変わる基準


物語に波を作るのは当たり前に同意なのだが、
葛藤を克服する、旅から宝を持ち帰るという
原則からこれらのテンプレートは「ハッピーエンド」を中心に考えている。

でもこれまでの説明のように、ハイコンテクスト狙いであれば
盛り下げて、アンハッピーエンドなる可能性も選択肢としてはずせない。


とするとこういったテンプレートは邪魔でしかなく、
物語の構成の肝は、

「いかに盛り上げと盛り下げのギャップを大きくするか?」

その波の高さが問題となる。


ピクサーでいう、「大切なモノを失う」「屈辱を与える」
神話でいう、「非日常」「試練」「チャレンジ」
というフレームワークの問題ではなく、
そこに至る「説得力」と、「絶望の深さ」「ギャップ」その「強度」が物語の本質だ。

ハッピーエンドに至るには、とことん絶望へ押し込まねばならず、
絶望の前には理想的な「虚飾」を演出しなければいけない。
わざと高く上げて落とすわけだ。

この日常と、非日常。
絶望と希望の波の角度が急角度になるほど刺さる。


フェイスオフ




ネタばれだが、フェイスオフを例にしよう。
捜査上の都合でFBI捜査官と爆弾テロ犯の顔を入れ替えるという話。

最初は幸せな遊園地から始まって、
息子が殺されて、復習に走って、念願の犯人を捕まえて、
そこから顔を入れ替えて、あれこれ2転3転してエンディング。

で、2人が入れ替わった後だが、お互いの家族と呼べる存在と
元々ギクシャクてた関係が、入れ替わった人格で騙しつつ
入れ替わったからこそ綺麗に収まる瞬間がある。
ライバルとその家族の関係までも描きながらこのメタ構造のギャップも面白い。

きちんと分解したわけではないですが、絶望も希望も一つではなく、
複数の要素やテーマを入り混ぜることで、
ギャップで考えるとフェイスオフは12幕以上の構成と取れないこともない。

ジョン・ウーらしい多くのツッコミはあれどこれはよくできたシナリオで、
機会があればいかに絶望と希望のギャップが絡み合うかに注目してみよう。

もちろん、フェイスオフ以上に刺さる作品だってたくさんあるのだけど、
この作品が「エンターテイメント」として気軽に見れるギャプレベルの基準と思う。

ちょっとこの講座の趣旨とは違うが、
エヴァとかだと絶望と希望のギャップがかなりやり過ぎで、
(あれは18:00のTV放送で子供に見せるものじゃない)
映画は気持ちよく見て、スッキリ忘れる方がいいという考え方がある。

みんながみんなこの基準を超えてトラウマレベルの作品をつくろうとか
目的以上のハイコンテクストまで目指す必要はない
という分岐点がフェイスオフだ。
それ以上をやりたければ、エヴァの落差を学んだほうがいい。



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バック・トゥ・ザ・フューチャー




この名作は、希望と絶望のギャップの深さはそこまでないものの、
ストーリー4コママンガを詰め込んだような、
4コマが何十幕もあるような構成となっている。
3幕という一回の波ではなく、高い波でもなく、
波の数が多くて、それが作品全体の心地よさを形成している。
絶望の深さではなく、その数とスピードに注目する作品だ。

タイムマシーンというループものだからこその構成ということもあるけど
トリロジー3作目の最後
ドクは科学者として存在してはならないタイムマシーンやその因果律よりも
クララを選び、マーティに君たちの未来は白紙だと告げ、
タイムマシーンの因果律を超える未来を自身の家庭として見せつけた。

これこそ脚本術にあるような王道進行なんだけど、
むしろこういう過去の名作から
脚本術が生まれたのではないかと思う。

それに従うのが間違いだとこの講座で主張してるのは、
この回数でこの形に収めるテンプレート構造が物語の予想外の喜怒哀楽を無視して、
お決まりの予測できるパターンになるからだ。
観客の予測はいい意味で裏切ってくれないと物語は楽しめない。

あくまで参考程度にとどめて欲しいが、
「三幕構成」「神話の法則」に変わる基準とは、

絶望と希望の波の高さであり、
その波の回数をどこまで増やせるか?

となる。
こうすると、三幕構成や神話の法則にとらわれないはずだ。
この両方を達成してる例として映画ではないが「24」を上げておこう。
「24」は三幕構成や神話の法則という範疇にはおさまらない構成だ。


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まとめ


世界で売るために、日本的ハイコンテクストから脱却しようというのは賛成。
だからといってコンテクストに頼らない物を作ればいいというのに反対。
ガラパゴス化、内輪ウケの中にこそスパイスとなる武器や
普遍的なハイコンテクストがある。


日本的ハイコンテクストはダメ
 >> コンテクストに頼らない物づくり

ではなく、

日本的ハイコンテクストはダメ
 >>  世界(人間関係、男女、社会、大人、子ども)のターゲット別ハイコンテクスト

日本的ハイコンテクストはダメ
 >>  映像ローコンテクストとテキストハイコンテクストの分離

日本的ハイコンテクストはダメ
 >>  世代別コンテクストは常に上昇しているのを認識する

日本的ハイコンテクストはダメ
 >>  「日本的ハイコンテクスト」が少しづつ世界に取り込まれているのを認識する


という様々な視点から、ハイコンテクスト前提で作るべきだと考える。
ローコンテクストを面白いと思わせるには、
いかに前回よりも分厚いお金で観客をぶん殴るかという話に収束するからだ。

また、世代と世界のコンテクスト上昇を確認しつづけなければ、
「自分の経験上そんなものが売れるわけない」と老害化してしまう。
経験の上に、コンテクスト上昇値をプラスして予測しなければいけない。
まあ、若いスタッフに任せればいいんだけど。


世代が変わるごとにコンテクストのレベルは上がり。
グローバルのコンテクストもどんどん共通化する。
映像のコンテクストと、テキストのコンテクストは一緒ではなく別物として扱える。
ほんとに普遍的なハイコンテクスト、人の悩みやコンプレックス人間関係などは世界共通。
ここに書いた様々な視点や、やり方しだいでは
ローコンテクストへ妥協しない物づくりが可能というのがこの講座のまとめだ。


以上で講義を終了したいと思う。
ここまで付き合ってくれた人はお疲れ様。